戦後日本の民主主義について 55年体制期の政党間の主要な対立軸を中心に

大学1年生の時に書いたレポートです。

1.はじめに

本論は、戦後の政党間における政策論争の主要な対立軸の分析を通じて、戦後日本の民主主義について考察し、その感想を記述していくことを目的とする。政党は、その発生の起源や本質においても、社会生活の中で自由に結成される自発的な集団だが、その目的は権力機構の獲得にあり、目的達成のために有権者に政策を提示する。現代の複雑な社会の統合には、「社会と国家の架け橋」(E.バーク)としての政党の果たす役割は大きく、議会における政党間の論争は現代の民主主義の不可欠な要素となっている。したがって、政党間の論争の対立軸を分析して、その構造を知ることは、戦後日本の民主主義を把握する際の1つの指針となるであろう。

なお、本論においては、政党間の政策論争のうち、1955年の日本社会党の左右両派の統一や自由党と民主党の保守合同以降、1993年まで続く自由民主党による単独政権の持続期、いわゆる55年体制期における論争を主眼とする。55年体制期における論争には、単独講和以降の政党間の主要な争点である安全保障問題が含まれているし、1993年以降の政界再編の動きがいまだ流動的であり、客観的で歴史的な評価を行っていくことが困難であるためである。

2.55年体制期における政党間論争の主要な対立軸への考察

議会制民主主義の制度化において権力機構を獲得するためには、選挙の際に有権者から多数の票を獲得しなければならない。政党が最も主体的・計画的に有権者に対してアピールすることによって選挙に影響を与えることができるのは政策である。1955年から1990年までの衆・参両院の国政選挙で、明示的であった各選挙期における一般的な政策争点と、政府・与党が比較的、積極的に打ち出した政策上のアピールを、政策分野別に頻度が多い順に並べると、安保・防衛、外交・通商、税制、政治倫理・民主化、景気・物価、社会福祉、教育、経済計画・財政金融の順となる。

このことから、当時の政党間の争点アピールが、国家の基本政策、特に防衛問題に偏ったものであったことが読みとれる。防衛問題における論争とは、朝鮮戦争以降の事実上の再軍備と日米安全保障条約という軍事同盟、さらには憲法第九条の改正を掲げる保守政党(自由民主党など)と、非武装中立による平和主義と東側諸国との全面講和を唱える革新政党(日本社会党など)、さらにはその中間に位置する小政党による対立である(このうち、中間に位置する小政党の主張は政治的関心の高い有権者の支持を集めることができず、政治的に重要な立場に立つことはなかった)。1970年代に入って防衛政策の論争は、革新政党が次第に自衛隊容認などの現実主義的路線へと軌道修正し、保守政党も解釈改憲や専守防衛などの政策上の妥協に依存するようになり、論争の争点が大きく変化したが、基地問題や自衛隊増強への「歯止め」などをも争点に含めて、55年体制が崩壊するまで一貫して継続した。

防衛問題優位の政策論争は、それ以外の調査からも明らかである。1967年の調査では、「減税か社会福祉か」という質問に対する回答は、意見が分かれたものの、安保・防衛・天皇制に対する質問への回答と、まったく相関関係がないことが明らかとなった。政党の政策を見ても、社会保障・福祉政策をめぐっては、革新政党と保守政党はともに福祉の充実を掲げ、保革の対立が存在しなかった。

このような戦後政党の政策の特徴を示す言葉として「粗放性」が挙げられるのではないだろうか。政党は、国民生活の維持発展を目的とした政策を、選挙における得票の手段として有権者に提示する。したがって、提示される目的や手段は、提示する政党や提示される有権者が納得でき、支持されるべきものでなければならない。そのため、多くの政策は、自然現象や社会現象について、原因ないし動機と結果とを一対一で対応させる単純明快な模型を設定した上で、所期の結果を実現(あるいは防止)する手段として、この原因ないし動機を導入(あるいは排除)するべきであると説く。自然現象や社会現象という高度に複雑なシステム現象について、そのひとつの局面だけを取り上げ、単純明快な代わりに粗放な模型で近似する結果、こうした政策はしばしば局所的な適合性しか持たず、システム全般にわたる複雑多岐な効果を安易に無視する。しかも、政策が粗放であるだけ単純明快となり、提示する側の政党および提示される側の有権者に納得され、支持される場合も少なくない。このような個々の政策に対して単純明快な模型を提示するという姿勢が、政党間の対立軸においても、有権者の支持獲得のために防衛政策を中心とする体制選択の問題として、局所的な適合性しか持たない問題へと単純化されていったと言える。

3.主要な対立軸への考察を基にした戦後日本の民主主義への感想

戦後日本の民主主義の重要な要素であった政党は、その対立軸の形成において両面性ある行動をとらざるをえなかった。すなわち、社会と国家の架け橋として有権者に政治上の争点を分かりやすく伝える役目を果たしつつ、その一方で防衛問題に特化した対立軸形成が、多方面にわたる政党間の対立軸の形成を遅らせ、有権者にとっては防衛問題における争点を見ることによって毎回の投票を決定するという単純化された図式が提示されることとなった。このような対立軸単純化の行きすぎた弊害が、政党間対立においては、55年体制下で国会対策委員会を中心に建前と本音をごまかす与野党馴れ合いの「国対政治」の要因の1つとなって国民の意思と離れた政治運営を生み、有権者においては対立軸未形成の状況下における「政治不信」を生み出すことにつながったと言える。これらのことが相まって、民主主義に不可欠な要素であった政党は、戦後において政治と民主主義とを乖離させるきっかけの1つをつくってしまったと言えるのではないだろうか。

自由民主党と日本社会党を軸とした55年体制は1993年に崩壊し、政界再編が進展した。その結果、流動的ではあるが現在のところ、自由民主党・自由党・公明党によるいわゆる自自公政権と、民主党・社会民主党・日本共産党による野党という構図になっている。その間、国際情勢や社会構造も大きく変化した。東西冷戦の終結と社会主義陣営の崩壊、さらには日本経済の長期低迷により、防衛問題は必ずしも最重要課題ではなくなった。代わって景気対策や福祉政策など55年体制期には比較的対立軸として低位置にあった問題が最重要課題として浮上してきた。これらの最重要課題に対し、防衛問題に特化した対立軸を形成してきた各政党は、いまだ形成途上にある新自由主義の立場からの主張などの例外を除き、有為な政策上の争点を形成できているとは言い難い。マス・メディアなどによって政策上の対立に乏しいことが繰り返し指摘され、有権者の政治離れが加速している。

しかし、ここで私達が考えなくてはならないことは、このような政治の混迷を生み出すことになった原因は何であったのか、ということではないだろうか。確かに、政党が政策上の争点を分かりやすく国民に示すこと、政党間の独自性を主張することは民主主義にとって必要なことである。だが、その政党間の対立軸が、あまりにも行きすぎた二項対立でもって粗放に政党から有権者に語られ、有権者がその単純明快な図式のみを受け入れて支持するのであれば、民主主義が有効に機能するとは言えない。現在のような政治状況は、逆に考えれば、民主主義をより有効に機能させて包括的な対立軸を形成するための過渡期とも言えるだけに、各政党も有権者も、より冷静な視点で政党間の対立軸を見ていく必要があると言えよう。