国際関係学の用語集

国際社会

国際社会の特徴は、国内社会と比較した場合、以下の6点に要約される。(1)国内社会にはその社会共通の道徳的判断を反映した法律が存在するが、国際社会にはそのような法律は存在しない。(2)国内社会には法律を必要なときに変更するような政治機関が備わっているが、国際社会にはそのような政治機関は存在しない。(3)国内社会には法律の執行に携わる執行機関が存在するが、国際社会にはそのような執行機関は存在しない。(4)国内社会には紛争を法律に従って解決する裁判所が備わっているが、国際社会にはそのような司法機関が十分に備わっていない。(5)国内社会には個人や下位集団の暴力行為を阻止する優越的な公権力が存在しているが、国際社会にはそのような力は存在しない。(6)国内社会には人々がむやみに暴力に訴えるなど、不条理な行動を取ることは余りないという一般的な秩序状態があるが、国際社会にはそのような了解はない(ただし近年では少しずつであるが一部の了解が形成されてきている)。

このように国際社会は、複数の自立的な下位集団によって緩やかに構成され、単一の中心的権威が存在しないために権力が分散している、「無政府的な社会」である。しかし、無政府的な社会であることは、必ずしも無秩序状態を意味しない。国際社会の重要な主体の一つである「国家」は、他の国家や国際機関と様々な結びつきを築くことによって、緩やかではあるが多様な秩序を形成している。

主体

国際関係学における主体とは、以下の要件を兼ね備えた存在である。(1)その存在が明確に識別できること、(2)国際的な舞台で決定し行動する一定の自由を持っていること、(3)他の行動主体と相互作用をし、その行為に影響を与えうること、(4)一定の期間にわたって存続すること。このような主体として、国家、国際機構、NGOなどがある。

国家

国際関係における「国家」とは、それぞれに政府を持ち、地球表面の特定部分と人類の特定部分集団について主権を主張する独立政治社会のことである。国家は意志決定と行動の自由を持った自己完結的な行動単位であり、その自己完結性は領土と人民に対する排他的な統治として表現される。国家には主権が存在するため、国際社会において、形式的には個々の国家は平等であり、自己の統治について他から制約を加えることは一般的に認められないとされている。しかし、国家の目的は国益の追求にあり、それぞれの国々にはパワー(国力)のばらつきがある。したがって、国際社会における諸国家の形式的平等とは別に、実質的な国家の相互関係の中では、このパワーが大きな影響力を持つ。

国内類推

「国内現象と国際現象には類似性が存在する。特に国内秩序の諸条件は国際秩序とよく似ている。ゆえに、国内的秩序を維持している諸々の制度を国際社会レベルでも実現するべきである」とする考え方のこと。この点については国際政治学の中でも様々な論争があるが、特にイギリス学派が国内類推に対して批判的な立場を取っている。

戦争

政治単位によって互いに向けて行われる組織的暴力。戦争と殺人とを区別するものは、代理的・公的性格にある。つまり、殺害者を代理行為者とする政治単位そのものの象徴的責任である。国家にとっての戦争とは、政策目標を達成するための一つの手段である。国家同士の相互作用にとっての戦争とは、相互の国家の関係や枠組みが決定されていく基本的要因の一つである。国際社会全体にとっての戦争とは、国際社会の無秩序の現れであると同時に、国際社会において秩序を形成していくための一つの手段でもある(NATOによるユーゴスラビア空爆のように)。今日、軍事技術の進歩や国民総動員態勢の確立によって、戦争はその被害を拡大させている。冷戦終結後は世界各地で地域紛争が続出し、様々な悲劇が生じている。戦争をなくしていく国際環境の整備が急務であるといえる。

囚人のジレンマ

ゲーム理論の基本問題の1つ。2人の男が凶悪犯罪の犯人として逮捕されたとする。しかし、この2人の容疑を裏付ける証拠がなかなかあがってこない。そのため、取調官が2人を別々に呼んで、それぞれ次のように言い渡した。

「お前が相棒の罪を自白して相棒が黙秘したままならば、お前は直ちに釈放し、相棒を禁固20年の刑にする。しかし、相棒が自白してお前が黙秘したままならば、お前を禁固20年の刑にする」。「お前達が両方とも同時に自白したならば、両方とも禁固5年の刑にする。もし両方ともずっと黙秘を続けたならば、明確な証拠はないから1年くらいで釈放される」と。

取りうる選択は、「自白」(裏切り)と「黙秘」(協力)の2つしかない。しかも相棒がどういう行動に出るかはまったく知るすべがない。・・・よくよく考えてみると、囚人が「自白」した場合は、最高で無罪、最悪でも5年の刑ですむことがわかる。もし「黙秘」した場合は、最高では1年の刑だが、最悪の場合20年も刑に服することになる。したがって、もし自分のリスクを最大限避ける選択をするならば、「自白」ということになる。相棒も同様のことを考えたとすれば、「自白・自白」で、2人は5年の刑に服することになる。この場合、2人は、与えられた状況の中で自分のリスクを避けるために合理的な行動を取ったが、実は客観的に最も合理的な答えである「黙秘・黙秘」(協力・協力)による1年の刑の可能性は失われてしまっている。

このような囚人のジレンマは、国際関係の中で軍縮交渉の難しさなどを説明するためによく使われる。A国とB国が軍縮条約に調印したとしても、現実にそれぞれの国が軍縮をするという保障はない。もし、自国は条約に協力して軍備を縮小したが、相手国は裏切って軍備を隠し持っていた場合、自国の安全は大きく脅かされることになる。したがって、この場合も、与えられた状況の中で最も合理的な選択肢は「裏切り・裏切り」であり、客観的にみて最も合理的な「協力・協力」の選択肢はなかなか達成されないことになる。この囚人のジレンマをいかにして克服していくかが、国際協調の1つのカギとなっている。

合理的選択アプローチ

危機研究の有力な方法論的アプローチの一つに、アリソンの合理的行為者モデル、ブエノ・デ・メスキータの期待効用モデル、パウェルのゲーム論モデルによって代表される「合理的選択アプローチ」がある。これらのモデルでは、国家は順序立てられた選効(例えば、国家の安全、経済的利益、威信)を持つ一枚岩の合理的な意思決定主体として捉えられる。そして、合理的な国家プレイヤーは、不確実性という制約の中で、あらゆる選択肢の便益や費用を慎重に吟味し、期待純便益を最大化するように行動することが前提とされ、分析が進められる(この主体の「合理性」は、行為主体が直面する制約条件とその行動とを論理的に関連づけるために導入された仮定である)。

構成主義的アプローチ

構成主義的アプローチは、国家の選好を、文化的・歴史的文脈の中で醸成されるアイデンティティ、または政策決定に用いられる知識や思想によって、内生的に形成される変数と見なす。構成主義のカテゴリーには代表的なものとして以下の2つのアプローチが内在する。

1.自然法的な構成主義

レジーム研究における合理的選択の有用性をほぼ完全に否定しながら、レジームを国際社会の規範的構造の中で捉える社会学的な方法論を提示。このアプローチでは、国々の協力的行為は、合理的アプローチが見なすような効率最大化行為ではなく、共同体の中で間−主観的(inter-subjective)に醸成された集合的アイデンティティから派生した社会的行為であると見なされる。

2.新古典派的な構成主義

合理的選択の有用性を否定せず、レジーム形成を促進する要因として、政策に関係する「理念」や「知識」の政策決定者間での共有が重要視される。ゴールドスタインとコヘインによれば、理念が意志決定に影響を及ぼす道は3つある。(1)理念が政策決定に必要な選好や目的と政策を関連づける因果関係という「道標」を供給する場合。(2)合意問題にパレート最適な合意点(多数均衡解)が複数ある時、理念が、政策決定者に対し、その中からある特定の一つを選択することを手助けする「焦点」の役割を果たす場合。(3)理念が「制度化」されて、政策に恒常的に影響を及ぼす場合。国々が新しい共通の知識を習得して学習を行えば、国際協力に不可欠なリアリティについての共通認識、政策の整合性、ひいては利益の調和を国家間で樹立できるようになると考える。

ラショナリスト(従来の合理的選択アプローチを取る側)は、国際政治が客観的に観察できる「モノ」と個人(および個々人に還元されうる集団)から成ると考える。他方、コンストラクティヴィストは、国際政治がルール、規範、原則、文化などの制度から成り、制度によって「モノ」や個人が意味や価値を持つと主張する。たとえば、ある布や歌を国旗や国歌とみなして主権国家を象徴させ、主権国家を「われわれ」のよりどころとし、ある建物を議事堂や裁判所、そして紙片を箱に入れる動作を投票として民主主義を象徴させ、それらを守るべき価値とするのは、すべて制度のなせるわざである。つまり、五感で知覚できる「モノ」は、それ自体ではなく、制度によって「ものをいう」のである。