私にブルデューを教えてくれた女性は「大衆は愚かで無力」と語った

2ちゃんねるのはてな村民スレッドで、「サイバーメガネはブルデューしか引き出しがなさそうw」とか書かれているので、自分とブルデューの出会いを思い出してみる。

エリボン:そうすると知識人のはたすべき役割とは何なのでしょうか。
ブルデュー: それはもうはっきりしています。装置の言葉が覆い尽くし、装置という怪物が生んだ現実、その現実の理論的分析が欠如しているのです。要するに理論が不在なのです。スローガンや激しい呪詛は、あらゆる形のテロリズムに行き着きます。もちろん、私は社会的現実の厳密かつ複雑な分析がありさえすれば、あらゆる形のテロリズムや全体主義への偏向から免れるに足る、などと考えるほどナイーヴではないつもりです。けれども、こういった分析の不在が勝手な行動に余地を残していることは確かです。これこそが、当世はやりの反科学主義、その新しいイデオローグ達を丸々と太らせてきた反科学主義に逆らって、私が科学を擁護し、 それが結果として社会的生活に関するより良い理解をもたらすがゆえに理論を擁護する理由なのです。・・・科学が権力を正当化する手段になってきているこ と、新しい指導者たちがシヤンス=ポ(国立政治学院)やビジネス・スクールで身につけた政治=経済学という仮象の名において統治していることをちょっとでも見れば、ロマンチックで後退的な反科学主義など導かれるはずがありません。 (P.ブルデュー『社会学の社会学』藤原書店)

Yahoo掲示板 社会学カテゴリ

私は1998年から学問をテーマにした個人サイトを運営していたのだけど、それだけではなくてYahoo掲示板の社会学カテゴリなどにも投稿していた。1998年や1999年頃のYahoo掲示板はレベルが高くて、色々な研究者や院生や意識の高い学生が集まってきて専門性の高い投稿をしていた。

だけど2000年を過ぎたあたりからインターネット利用人口の爆発的な普及に伴って、社会学カテゴリの投稿の質は悪くなっていった。何の根拠も典拠もない思いつきのオレオレ社会学のような投稿が多くなってきた。今までレベルの高い投稿をしていた人達はそれぞれ散ったり別な場所に移ったりして、悪貨が良貨を駆逐するような状況になっていた。

でも、私はYahoo掲示板に残っていた。質の低い大量の投稿にかき消されがちであったけど、少数の学生や研究者の投稿もまた存在したので彼らと議論することを目的とした。もう大学は中退していたけれど、今でいう野生の研究者になろうと思っていた。

ms_persellさんとの出会い

2000年に『中央公論』などが「中流崩壊」などの特集を組んで、社会学者がSSM調査などのデータを元に社会階層の分化が進んでいるのではないかという論争が湧き起こった。私はその議論を自分のWebサイトでも紹介すると同時に、Yahoo掲示板でも階層問題に関して議論するトピックを立てた。

そこで私は両親の年収によって学習塾など子供に掛けられる費用の差が広がってきているので、お金持ちの家の子供は東大などに入りやすいけれど、年収の低い家庭では子供が教育サービスを受けられる機会が少ないので階層が固定化してきているのではないかと書いた。

その投稿に対して、「両親の年収よりも両親の学歴や教養の方が子供の学歴を決定する影響が大きいですよ」というレスを書いてきた人がいた。ms_persellさんという女性だった。彼女は私に2人の学者の本を読むように勧めた。1人は『大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史』という新書を書いた東大の苅谷剛彦氏。もう1人はピエール・ブルデューという聞き慣れない学者だった。

文化資本との出会い

私はまず『大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史』を読んだ。この本の内容は衝撃的だった。

専門・管理職としてくくられる上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)と 呼ばれる階層の出身者の割合が、すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである。この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである。…東大入学者 は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである。

そしてブルデューの書籍を読んだ。藤原書店の本で高かったけれど頑張って買った。ブルデューは「文化資本」や「ディスタンクシオン(卓越化)」という概念を用いてこのような階層の再生産の構造を暴こうとしていた。文化資本については当時のms_persellさんが書いてくれた私へのレスが分かりやすい(以下レスから引用)

文化資本って何だろう ms_persell

商売をはじめる時には普通「資本金」が必要となります。いってみれば「元手」ですね。たとえば、ジュースを売りたいと考えて、ジュースを1つだけ仕入れた場合、損をするリスクは少ないですが、儲けも少なくなります。これに対して、大規模な店を開いて、大量のジュースを仕入れた場合、売れなかった場合のリスクもありますが、売れた場合は大きな見返りを期待することができます。

教育の中で、これに似た考え方をすることがあります。これが文化資本と言われるものです。たとえば、中卒で裸一貫で就職した場合、教育への費用や、教育を受けている間のロス(機会費用)はかかりませんが、その職業選択範囲や賃金の上昇には限界があることがあります。それに対し、学校で人脈や経営知識を得たり、あるいはどこかで訓練を受けてスキルを身につけた場合、それが職業に結びついた場合は専門家としての見返りを受けることができます。

いずれにせよ、資本が生まれつき平等に備わっているわけではありません。経済資本の問題で言えば、お金持ちの家に生まれる人と、そうでない人があります。では、文化資本の場合はどうであるか、たとえば、職人の家庭に生まれた人は、その技術を多かれ少なかれ学び取って育つことになります。バイリンガルの家庭に生まれた 人は小さい時から外国語を話すことを覚えることができます。これを経済格差と同様に環境の不平等として捉えることもできるでしょう。

教育社会学の中で、しばしばこの文化資本が問題となることがあります。社会の中で、学歴が高いほど、職業選択の自由が多く、また、賃金や社会的威信が高い職業につく可能性が高いことになっているのですが、この学歴取得の決定因は日本では経済資本よりもむしろ学力にかかっていると考えられています。日本の国立大学の学費は私立よりも安く押さえられ、学力さえあれば家庭環境に関わらず入学できることから、経済的な格差というものが見えにくいからです。しかし、その学力が学校で誰でも平等に身につくものではなく、家庭環境の影響が大きく、学校ではただ選抜だけを行っているのではないか、という指摘があります。

これまでの統計的な事実として、学歴の高い親の子供ほど、学力が高い、また学歴が高くなる傾向があります。これは学歴が高ければ収入が高い傾向にあり、そのために進学校に子供をやったり、塾に行かせたりという教育投資が可能なのが一つの理由です。しかし、それと同時に家庭で伝達される文化資本の格差の影響も考慮しておく必要があります。経済格差は、社会のシステムを変えることである程度の是正は可能です。しかし、文化的格差を埋めることは簡単ではありません。このために、学力に基づく学校での選抜が、経済的、文化的な社会の不平等を正当化させる機能を持っているという一面も存在しています。

私はこのときに初めて見えない支配の構造に気付いて戦慄した。経済だけではない。文化に関しても階層の格差が存在するのだ。そして学校はこの文化資本の階層間格差を「平等な受験競争の結果」として正当化する役割を担っている。

「大衆は愚かで無力だ」と彼女は語った

私はこれは重大な問題だと思って、ms_persellさんと議論を重ねた。議論を重ねたというよりは私が彼女に様々なことを教えてもらった言った方が正確かもしれない。竹内洋の『日本のメリトクラシー―構造と心性』やウィリスの『ハマータウンの野郎ども 学校への反抗 労働への順応』も勧めてくれて、これらを読んで教育における加熱と冷却の作用や、自分達にとって受験競争が不利であることを見抜いた職業高校の生徒が逞しい肉体労働に憧れて自分の立場を受容していく過程を知った。

文化が資本であることを理解するためには次のようなことを想起すればよい。劇場やコンサートは入場料自体はほとんどの人々がアクセスできる範囲にある。にもかかわらず現実にこれらを享受するのは特定の人々に限られている。クラシック音楽や古典劇を理解可能にするコードがなければ楽しくないし、意味不明である。したがって文化財を理解可能にするコード所有者には富めるものがますます富むという文化資本の拡大が生じる。資本の拡大は貨幣や財産に限らない。しかもこのような文化資本は教育達成(学力、学歴)に有利なコードとなる。上層階級の家庭には「正統」文化が蓄積されているからである。正統文化とは高級で価値が高いと見なされる文化である。クラシック音楽や古典文学は正統文化であり、演歌や大衆小説は正統文化から距離がある。学校で教育されるのは文化一般で はなくこうした正統文化である。 “(竹内洋・京都大学教授『日本のメリトクラシー』東京大学出版会)”

それは今まで可視化されていなかった特定階層による支配の構造だった。

ms_persellさんは私にメールアドレスやメッセンジャーのIDを教えてくれて、私達はYahoo掲示板ではなく2人で話すことが多くなった。私はこのような特定階層による階層の再生産メカニズムを社会に広く知らせて、その構造を暴いて変革していかなければいけないと思った。

ms_persellさんは(ブルデュー研究者に多いのだけど)宿命論者でエリート主義者だった。階層の文化的再生産の構造を社会に啓蒙していくことを熱く語る私に対して、「大衆の多くは愚かで無力。彼らは自分達を支配する構造に気付くことはないし、それを自らが支えていることを理解しようともしないだろう」と説いた。私が「教育を通じて伝えていけるのでは」と話すと、「学校の教師も大衆の一部です。彼らが文化資本の構造を理解して変革していけるとはとても思えない」と言った。

私達2人は本当に色々なことを話した。次第にms_persellさんのプライベートなことも分かってきた。ニューヨーク大学で教育社会学を学んで、今はどこかの大学院で研究助手をされているようだった。苅谷先生と親交があって、苅谷先生が当時住んでいた住所もご存じだったので、東大大学院かもしれない。そんな人がなぜ学歴もステータスもない私に時間を沢山割いてくれているのかは不思議だった。

エリート主義はやむを得ないと言っていた。特定階層からエリートが輩出されるのは社会にとって必要で、文化資本による社会階層の再生産は根本からひっくり返すことは不可能。今以上に階層が固定化されないように流動的な状態を一定程度維持するのが重要だと説いた。授業時間の削減や総合的な学習は階層間のインセンティブ・デバイド(意欲格差)が露骨に出てくるので反対だが、教育を通じた階層の再生産自体は宿命であると言っていた。私はそのエリート主義に納得がいかなくて大衆と共に歩むべきだとよく反論した。

「あなたは特別な人だから」

その頃は私の鬱や不眠症が顕在化し始めてきた時期だった。私は文化資本についてやり取りしているメールの中で、たまに眠れない悩みを書いていた。ms_persellさんは私のことを心配してくれて、「メラトニンを摂ると良いのではないか」という話をした。当時メラトニンは日本では認可されていなかったけど、ms_persellさんはニューヨークで眠れなかったときにメラトニンが効果があったと言っていた。「電話でお話ししましょうか?」とメールが来て2人で電話で話すことになった。

初めて聴いたms_persellさんの声はすごく若かった。30歳くらいな印象。そしてなぜか私にすごく期待してくれた。「あなたは特別な人だから、眠れないくらいのことで負けてはいけないんですよ。眠れないときは私にいつでも電話してきて良いですよ」と言ってくれた。そして「私の持っているメラトニンを少し送りましょうか?」と言ってくれた。なぜ何の肩書きもなかった私にそこまで親身に電話を掛けてきてくれたのかは分からない。

数日して私の自宅にメラトニンが届いた。感謝の気持ちを伝えたのだけれど、私はメラトニンでは眠くはなれなかった。それでも2人の交流は続いた。実際に会うことはなかったけど。ただ、その後、私は仕事が忙しくなってレスを返すのが遅くなった。それでお互いに連絡を取るのが長引いて…。

その間にフランスでブルデューが亡くなった。ブルデューは文化資本で現代の支配層の再生産と正当化の構造を暴いただけでなく、労働運動や反グローバリズム運動にも積極的にコミットした実践の知識人であった。

「世界でももっとも才能にあふれ、もっとも有名な知識人のひとりだった」「ブルデュー氏は社会参加と不可分の科学として社会学を実践した。世界の悲惨に見舞われている人々のための彼の戦いはそのことを見事に示している」 “(シラク大統領の言葉)

その後、日本でも「格差社会」「下流社会」「希望格差社会」などの言葉のブームと同時にブルデューの考え方が普及していく。

「社会学の本を全部渡します」

2年間くらい連絡を取っていなかったときに、突然ms_persellさんからメールが届いた。「社会学の研究は全てやめることになりました。家にある社会学の本は全ていらなくなったので安価でお譲りできます」という内容だった。

私はあんなに情熱的だったms_persellさんが社会学への興味関心を一切失ったことにショックを受けて、そのメールには返信しなかった。正直なところ、当時は軽蔑の気持ちを抱いていたかもしれない。結局、そのまま2人はそれぞれ別々の道を辿ることになった。それ以後ms_persellさんがどうなったのかは分からない。連絡先も今となっては分からない。

今もし連絡が取れるならば、あの時のお礼が言いたい。彼女と私の考えは一致しなかったけれど、彼女は私に社会問題と戦うための知識という武器を与えてくれた。

確かに文化資本のは話をしても「○○さんは親が高卒だけど東大に行ったよ」などミクロな事例とマクロな傾向を混同されて理解されないことが多い。でも、私はオルテガの『大衆の反逆』のように大衆に悲観することなく、大衆の可能性を信じている。自分も大衆だからだ。

そしてms_persellさんが教えてくれた知識を元に野生の研究者として15年間くらいの研究と、格差の再生産の構造を暴くことを続けてきた。

やはりお礼が言いたい。私の師匠で、私の第二の母だ。