奥羽越列藩同盟の政権構想 戊辰戦争の時、奥羽越列藩同盟では新政府軍に対抗して輪王寺宮(北白川宮能久親王)を新しい天皇として擁立しようとする動きがありました。いわば南北朝構想です。奥羽越列藩同盟に迎えられた輪王寺宮は1868年(慶応3年)6月15日に東武皇帝として即位し、元号を大政に改元したとする説があります。その事を裏付ける史料が徳川宗家に伝わる『徳川宗家文書補遺』(徳川記念財団所蔵)に収められています。この史料では輪王寺宮を中心に九条や沢などの東北鎮撫軍の公卿、征夷大将軍として伊達慶邦、総副軍総裁に松平容保が名を連ねているいわば東北版朝廷の閣僚名簿となっています。…さらに読む
海江田万里事務所から、「民主党党員登録更新のお願い」という手紙が届いた。「厳しい状況下ではございますが、代表である海江田万里をお支え頂きたく、よろしくご検討いただけますようお願い申し上げます」と書かれてあって、党費6,000円の振込用紙が同封されていた。正直、更新すべきかどうかは迷っていて、まだ返事をしていない。民主党の党員になるとどんな特典があるかというと、プロパガンダが送られてくる。選挙の依頼と同時に、隔週で機関誌『民主』が送られてくる。いわゆる『赤旗』のような新聞だ。『民主』は『赤旗』に比べて激しく中身が無くて通常の人は読む気になれないだろう。…さらに読む
大本営の陸軍将校に堀英三という人物がいました。彼は情報分析のプロフェッショナルで、連合国軍の作戦に一定の法則性があることを見抜き、フィリピン決戦における連合国軍のフィリピン上陸の日時や規模や侵攻ルートなどをピタリと的中させました。そのため、彼は大本営において「マッカーサー参謀」という異名を持つようになります。彼は『敵軍戦法早わかり』という文書を書き記し、米軍への水際での突撃や夜間の銃剣突撃を行わない方が良いという情報を全軍に伝達しています。この伝達が活かされた事例に硫黄島の戦いがあります。…さらに読む
「いいくにつくろう、鎌倉幕府」は日本史で最も憶えやすい語呂合わせで、鎌倉幕府の成立を1192年と記憶しているロスジェネ世代も多いことだろう。しかし最近の中学や高校の歴史の教科書では、鎌倉幕府の成立を源頼朝が征夷大将軍に任命された1192年ではなく1185年と教えている。語呂合わせは「いいはこつくろう、鎌倉幕府」。1185年に文治の勅許により源頼朝が諸国に守護・地頭を設置することが認められ、軍事・警察権を実質的に掌握したことを源氏政権の成立と見なす学説が主流になってきたことが大きい。…さらに読む
福島県で中学時代を送っていた頃、仙台の本屋さんで千葉真弓『ファシクラ伝』という漫画を買った。(支倉常長の肖像画) 『ファシクラ伝』は、江戸時代初期に伊達政宗の慶長遣欧使節団としてメキシコ・スペイン・ローマを訪問した支倉常長という人物を描いた漫画だ。この慶長遣欧使節団はスペインとの交易とキリスト教の司教の座を仙台に設置することを主目的であるとされている。当時のスペインの王宮やローマには日本のキリスト教弾圧の情報が伝わっていたので、交渉は大きな成果をあげず帰国したことになっている。(慶長遣欧使節団のルート。…さらに読む
第二次世界大戦までの日本の諜報活動や防諜活動に関しては、終戦前後に多くの資料が焼却されていないため詳細が分かっていない部分が多いが、当時の回顧録や近年になって公開されたアメリカやイギリスの情報機関の資料などによって明らかになった部分もある。日本を巡る諜報事件としては、ソ連のスパイ・ゾルゲが日本政府関係者や新聞記者と接触して御前会議の「帝国国策遂行要領」などを入手し、日本がソ連攻撃ではなくアメリカ・イギリス・オランダの支配する南方に向かう予定であることをソ連政府に報告していたゾルゲ事件が有名だけど、今回はあまり知られていない「ジミー」と「ラットランド」を取り上げる。…さらに読む
『地球を「売り物」にする人たち』 マッケンジー・ファンク『地球を「売り物」にする人たち』を読んだ。この本は発売前から興味があってAmazonで予約注文して発売日当日に購入したけど、なかなか読む時間が取れなくて今日読了。著者はキューバのグアンタナモ強制収容所から初めて解放された囚人にインタビューしてアメリカの拷問の実態を明らかにするなど気鋭の若手ジャーナリスト。地球温暖化はビジネスチャンスになる この本の内容は地球温暖化による気候変動が止められないことをビジネスチャンスとして捉えて活動している企業・個人・国家などを取材したルポルタージュ本となっている。…さらに読む
戦後、高度経済成長に伴って全国各地に商店街が出来た。そこでは地域のおじさん店主が「おう、坊や、元気か?」と声を掛け合ったり、明るくも甘酸っぱい商店街を取り巻く地域の思い出が沢山あったのだろう。しかし、今や全国で商店街がシャッター商店街への道を歩んでいる。地方にはイオンやかっぱ寿司など東京資本の全国チェーンが怒濤のように進出してきていて、今や地域の雇用はこれら東京資本が握っているのが正直な現状だ。もちろん、創意工夫で町おこしに成功した商店街もある。しかし、それはテレビニュースで語られるぐらいに稀な話題だ。全国の多くの商店街は、イオンほど賢い戦略が描けているのではない。…さらに読む
元寇でなぜ鎌倉幕府(日本側)は勝利が出来たのか。勝因に関しては、戦前までは「暴風雨」(神風)によるものとする説が圧倒的だった。しかし、元寇当時、北九州に暴風雨が到来していたとする両軍の記録は存在しない。当時の京都では暴風雨が吹いていたことから(広橋兼仲『勘仲記』)、北九州を通過したのではないかという説が立てられているが、未だ資料に乏しい。元寇の大部分は高麗の戦力であり、日本に侵攻する気が薄く、元の軍船がにわか造りであったことを指摘する説もある。ただ、これも元の大軍が日本軍に対してあっさり敗北してしまった決定的な証拠としては弱いように思う。…さらに読む
娘が学校に行きません「親子で迷った198日間」を読んだ。不登校って難しい問題で、自分は家庭にいるのも嫌だったけど、学校に行くのも嫌だった。相馬の小学校で小学生だった頃、私はかなり目立つ存在だった。学力テストではトップだったけど、その分、手を挙げて発表もする主張の強い子だった。社会科の授業で第二次世界大戦の話題になると手を挙げて「天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス」と憶えていた開戦の詔勅を発表したりした。自由研究では、植物に薄めた塩酸を掛けて枯れていく濃度を調べたり、原子爆弾の中性子を使った核分裂の仕組みを発表したりしていた。…さらに読む
近世における「藩」意識 -御家の論理と仁政の論理- 近世における「藩」は、武士団としての主従関係に基づく「御家」の論理と、「仁政」に基づく領民支配の論理を併せ持っていました。この「仁政」と「御家」という二つの思想の原則的に矛盾した構成を指摘した田原嗣朗氏は、両者は「普通の場合には異なった平面に属し」「共存」していたため、その矛盾は無意識化され「当時の武士によってはほとんど意識されなかった」と指摘しました。しかし、近世においてもこのような両者の論理が意識的に思想として絡み合った場合があります。…さらに読む
日本におけるカミの祭祀 日本人は古来から様々なカミを祭祀してきました。祭祀形態も地域や時代、社会構造によってきわめて多様に存在します。日本のカミ祭祀にあたっては、基本的に祭祀されるカミの性格、祭祀者、および両者を媒介する媒介者に注目する必要があります。カミを祀る祭祀者・媒介者・信者などの祭祀組織において、祭祀者が一定地域の住人である場合、祀られるカミは「氏神」(鎮守)と呼ばれます。しかし、祭祀を実際に担当するのは、祭祀者を代表する「氏子総代」、あるいは祭祀者に関わる「神職」です。祭祀者の周縁には広い意味での信者や畏敬者の存在も無視できません。…さらに読む
特別支援教育とは 特別支援教育の目的は、学校教育法第72条において、以下のように規定されています。特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。…さらに読む
纒向遺跡の特殊性 奈良県桜井市にある纒向遺跡は、奈良盆地東緑南部の三輪山北西裾一帯に広がる段丘と扇状地上に位置する大遺跡です。弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落と古墳群から構成されています。『魏志倭人伝』に登場する邪馬台国の時代と重なることから、纒向古墳は邪馬台国畿内説の研究者によって、卑弥呼の墓ではないかと注目されています。また、この遺跡からは九州や東海や吉備などで作られていたと思われる土器が多数出土しており、当時の各拠点との広域ネットワークが存在したことが明らかになっています。…さらに読む
第1講 はじめに 本州西端に位置する周防・長門両国は、海岸部にいくつかの狭い平野と、そして山間盆地をわずかに点在させるだけの辺境であり、瀬戸内海側の一部に微かに聚落をみる程度の後進地域であった。周防山地に陥没する盆地のひとつである山口にしても、瀬戸内沿岸から二十キロも内陸へ入り込んだ辺鄙な土地であり、大内氏がこの地を拓くまでは荒涼とした寒村にすぎなかったものと考えられる。瀬戸内に面し、周防国衙の所在地である防府にその本拠を定めていた豪族大内氏が、一族を率いて山口へ入植したのは、十四世紀後半のことであるが、これはまさに唐突ともいえる事件であった。…さらに読む
齊藤 2005/07/04(Mon)03:46:39 ドイツと日本の違いについて。直江さんは「日本が戦争に突入したのはやむをえなかった」という論理は、ナチスに対しても「戦争に突入したのはやむをえなかった」同じ論理でそう言えてしまうことになるとご指摘されています。すみません、私の中では日本政府は最後まで対米交渉の平和的解決を願っていたという認識でいます。しかし、米国が日本への原油輸出禁止や在米日本資産凍結などの強攻策に打ってでてきて、イギリスやオランダの東南アジア植民地からの資源も輸入できませんでした。…さらに読む
アメリカ大陸では馬は1万年前に絶滅した アメリカ大陸のアンデス文明は、何故ユーラシア大陸の西洋文明に破れて滅亡したのでしょうか。これには諸説あり、『銃・鉄・病原菌』(まさにタイトルそのものがアンデス文明に欠けていたものですが)においては「文明は気候差の影響などで東西に伝播する速度のほうが南北に伝播する速度より速く、南北に長いアメリカ大陸は地勢的に文明の伝播に不利な状況があった」などと指摘されています。私はそのような地勢的な状況もあった一方で、『銃・鉄・病原菌』でも重視されていてもテーマの本質ではなかった「馬」の存在の有無が両大陸の文明を分かつものであったと思います。…さらに読む
華族とは 大政奉還と明治維新によって、それまでの士農工商を基礎とした身分秩序は否定されたが、明治政府は天皇を頂点とした近代国家の建設を志向していたため、身分制度は完全に解体されることなく再編成されることになった。このうち、公家や大名家などの旧支配層が世襲制の「華族」という身分として統合されることになった。当初の華族総数は427家。うち公家が136家、大名家が248家、公家と同格が28家、大名と同格が15家であった(同格とは、位の高い一部の公家の分家・徳川諸家・付家老家など)。さらに華族令が公布される1884年までに、特定の分家・社寺住職・神職僧侶など、さらに76家が新たに加えられた。…さらに読む
大本営は特殊任務機の存在に気づいていた 大本営の陸軍将校に堀英三という人物がいました。彼は情報分析のプロフェッショナルで、連合国軍の作戦に一定の法則性があることを見抜き、フィリピン決戦における連合国軍のフィリピン上陸の日時や規模や侵攻ルートなどをピタリと的中させました。そのため、彼は大本営において「マッカーサー参謀」という異名を持つようになります。彼は『敵軍戦法早わかり』という文書を書き記し、米軍への水際での突撃や夜間の銃剣突撃を行わない方が良いという情報を全軍に伝達しています。この伝達が活かされた事例に硫黄島の戦いがあります。…さらに読む
フランスの核抑止戦略 (1)「独自の核による抑止」に依存した国家安全保障 ・死活的に重要な利益の防衛(仏本土、周辺地域、第三世界) ・国家独立の確保(核保有国としての決定権、行動の自由) (2)「不戦」と「小国の大国に対する抑止」(大量報復、都市攻撃) **** ミッテラン社会党政権下の核政策 社会党(社会民主主義政党)は反戦、平和主義 しかし野党時代、反核から核容認へ転換 (1)新冷戦の時代 ・海外情勢:東西陣営の緊張、軍拡 ↓ソ連の軍事的脅威の増大 フランス:核抑止の信用維持の必要性 ・核関連兵器の開発、西欧の共同防衛としての核の位置づけ (2)東西緊張緩和の時代 ・海外情勢:ゴルバチョフ……さらに読む
民話とは何か 民話とは、民間に口頭で伝承されてきた説話、つまり民間説話の略称です。学校の歴史や国語の教科書では、その時代の文化の特徴を把握するために文学作品などが採り上げられることが多かったと思いますが、文学を創作したり鑑賞したりしていたのは、貴族・武家・豊かな町人などごく一部の知識層です。庶民の文化、とりわけ、文字で書かれた言葉よりも話し言葉が多かった伝統的な農村社会の文化を知るには、口頭で語り継がれてきた民話について知る必要があります。…さらに読む
縮小する世界経済 まず、当時の世界の状況をおさえておきましょう。1929年にアメリカ・ウォール街の株価暴落を契機とした世界恐慌によって、1930年代には世界経済は深刻な打撃を受けます。下の表は、国際連盟がまとめた世界貿易の推移ですが、1938年に至っても、恐慌直前の1928年に比べて3分の2程度に落ち込んでいることがわかります。…さらに読む
近代ヨーロッパの孤独について 現在、世界を動かす様々なシステムや理念は、近代ヨーロッパの社会的文化的影響を強く受けている。しかしながら、我々は必ずしもヨーロッパの発展の要因を解明したとは言い難い。ここでは、産業革命の衝撃を受けた直後からのヨーロッパを、「孤独」という視点から、様々な側面ごとに分析した。哲学者ニーチェの主張もふまえながら、現代を覆う「近代ヨーロッパ発の危機」の構造を見ていきたい。…さらに読む
日本人の墓地と葬儀 現代の日本では火葬した骨を土中に埋めて、その上に石を置いた墓が一般的ですが、沖縄の南西諸島の一部では風葬の習慣が今でも根強く残っています。南西諸島の風葬では、死体は島の洞窟などに安置され、自然に白骨化するのを待ちます。そして白骨になったら、洗骨をし、遺骨をかめの中に入れて、また洞窟の中に置きます。私達が通常行っているような墓参りや年回法要などは存在せず、肉親が遺体をかえりみることもほとんどありません。南西諸島では、人は死ぬとカミになると考えられています。…さらに読む
八重の桜に相馬藩は登場するか? 大河ドラマ「八重の桜」の放映開始!福島県相馬市出身の私としては録画してでも視るけど、相馬藩が登場するか最後まで気になるな。新政府軍は太平洋沿いに相馬→仙台ルートを攻撃する必要があったから、白河方面で会津を攻撃する部隊とふた手に分かれることになったので、相馬藩が降伏するまで会津・仙台の両藩の防衛に寄与した歴史的意義は大きいと思うけどな(実際、奥羽越列藩同盟は相馬が降伏した直後から総崩れになっているし)。八重が主人公だから相馬藩は出ないか…。と思いつつ、福島出身として最終回まで見続けよう。…さらに読む
憲法草案枢密院会議筆記第一審会議第一読会における伊藤博文枢密院議長の演説(明治21年6月18日) 各位、今日より憲法の第一読会を開くべし。就ては注意の為め開会に先ち、此原案を起草したる大意を陳述せんとす。但し此原案の逐条に渉ては今日素より一々之を弁明すべきにあらず。憲法政治は東洋諸国に於て曽て歴史に微証すべきものなき所にして、之を我日本に施行するは事全く新創たるを免れず。故に実施の後、其結果国家の為に有益なるか、或いは反対に出づるか、予め期すべからず。然りと雖、二十年前既に封建政治を廃し各国と交通を開きたる以上は、其結果として国家の進歩を謀るに此れを捨てて他に経理の良途なきを奈何せん。…さらに読む
ドイツ民主主義の無力さとナチスの登場 第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、多額の賠償金を科せられ、国内では深刻なインフレと失業者の増大に悩まされていました。大戦後のドイツには普通選挙権や社会権を保障した高度な民主主義体制が築かれていましたが、各政党はドイツ経済を立て直す抜本的な政策を打ち出すことができず、人々の政治に対する失望や無力感が募っていきました。そこに、まったく新しいスタイルをもった政党が現れます。その政党は、危機に対し無力を露呈した議会を激しく批判し、派手な大衆運動と過激な主張で次々に支持を広げていきました。その政党こそが、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)です。…さらに読む
自衛隊の装備の製造元 装備の名称製造元 89式小銃豊和工業 9mm機関拳銃ミネベア 5.56mm機関銃MINIMI住友機械工業 12.7mm重機関銃住友機械工業 87式対戦車誘導弾発射装置 81mm迫撃砲L16豊和工業 120mm迫撃砲RT豊和工業 96式自走120mm迫撃砲日立製作所、豊和工業 99式自走155mmりゅう弾砲三菱重工(車体)、日本製鋼所(砲塔) 多連装ロケットシステム 87式自走高射機関砲 90式戦車三菱重工(砲塔・車体)、日本製鋼所(120mm砲) 89式装甲戦闘車三菱重工(砲塔・車体)、日本製鋼所(35mm機関砲)、川崎重工(誘導弾発射装置) 96式装輸装甲車小松製……さらに読む
教育委員会とは何か 第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、連合国軍総司令部の指導の元に、戦前の教育制度の抜本的改革を迫られることになりました。連合国軍総司令部は、戦前の日本の教育行政が文部省を中心とした中央集権的な体制になっていることに注目し、それが民主的な教育行政の大きな妨げになっていると考えました。『米国対日教育使節団報告書』では、日本の教育制度について、以下のように提案しました。「文部省は、日本の精神界を支配した人々の権力の中心であった。従来そうなっていたように、この官庁の権力は悪用されないとは限らないから、これを防ぐために、我々はその行政的管理権の削減を提案する。…さらに読む
科学とは何か 科学というと、何だかとても難しい言葉を使って、難しいことをやっているようなイメージがありますね。でも、科学とは本来そんなに難しいものではありません。小学校や中学校の理科の授業を思い出してみてください。小学校や中学校の理科の授業では、様々な「実験」をした記憶があると思います。ヘチマを育てたり、リトマス紙に酢をつけてみたり、豆電球と電池の配列を変えてみたり…。…さらに読む
政党とは何か 政党とは何でしょうか。近年は特定の政党を支持しない無党派層の人々が増加しており、既成政党の時代は終わったという主張が唱えられたり、政党に対して何かダーティでウサン臭いようなイメージを抱く人々が増えています。それでは、政党は本当にもはや無用の長物となっているのでしょうか。政党という社会集団が果たしている役割を考えるために、政党の存在しない社会を想定してみましょう。政党が存在しない場合、議会には無所属でそれぞれ独立した意見を持った議員が参加することになります。このような状況で政策の審議を民主的に行うには、議員全員(例えば衆議院ならば480人)の意見を知らなくてはなりません。…さらに読む
93: ジャガー(西日本):2012/12/29(土) 00:55:58.20 ID:czqok4r80 そもそも日本と西洋では城が守ろうとしているもの、城に攻め込んでくる敵が違う 日本の場合、敵も同民族の日本人同士で、戦ってるのは武士の縄張り争いのため 民は敵ではなく土地と同じように資産であり、生産力であり、税収の源なので 例え負けてもそこの民は主が変わるだけで同じ場所で別の主に税を納めて暮らすだけ 城が守るのは武士など為政者階級のみで、町を守る城壁は無い 一方で西洋の場合、攻めてくるのは異民族 異民族に支配されれば、そこに暮らす民は良くて奴隷、悪ければみんな殺されちゃう だから城は主だけ……さらに読む
東京都中野区の教育委員準公選制度概観 1957年の地教行法の成立によって、教育委員は住民の直接選挙(公選)ではなく、自治体の首長が議会の同意を経て任命することになりました。しかし、1978年、東京都中野区で大きな変化が起きます。中野区で教育行政への住民参加と教育委員会の活性化をはかることを目指した教育委員の準公選を求める運動が、2万人の署名を集めることに成功。1978年9月に準公選の条例を求める直接請求として区へ提出されました。大内区長は「違法性の疑いあり」という意見を付して議会へ提出、中野区議会は特別委員会を設置してこの問題の検討を開始しました。…さらに読む
戦前の混合民族神話 戦前の日本は、軍事力を背景に朝鮮や台湾を帝国領として併合し、領土を拡張させていきました。このため、帝国総人口1億のおよそ3割を朝鮮人や台湾人などが占めるようになります。その際の統合原理として持ち出されたのが、日本人の混合民族神話でした。日本人のルーツは北方騎馬民族や大陸系や南方マレー系などの混合に求めることができ、古代から渡来人など異民族を受け入れ同化させながら発展してきたとする考えです。この混合民族論は戦前から戦中にかけて広範に流布され、多民族帝国としての日本の対外侵略や異民族への強引な同化政策を正当化する論拠となっていきました。…さらに読む
優生学とは何か 優生学とは、人間の性質を規定するものとして遺伝的要因があることに着目し、その因果関係を利用したりそこに介入することによって、人間の性質・性能の劣化を防ごうとする、あるいは積極的にその質を改良しようとする学問的立場、社会的・政治的実践を指します。ここでいう「遺伝的要因による人間の劣化」として想定されているものは、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患、遺伝性奇型、精神病、精神薄弱などです。…さらに読む
日本人は無宗教か 日本人のかなりの人が、「何の宗教を信じているか」という質問に「無宗教」と答えています。しかし、これは日本人の普段の行動や発想を注意深く見てみると、とても不思議なことです。日本人の多くは、正月になると初詣をしたり、神社へ元朝参りをしたりします。また、何か願い事があると神社に賽銭を投げてお願いをします。夏になるとお寺の先祖の墓へ墓参りに行き、線香をあげます。建物を建てる時には地鎮祭が行われます。誰かが亡くなったら寺から僧侶を呼んで経を唱えてもらい、家に仏壇を置きます。外国人から見ると、これらは立派な信仰心であり、宗教的行為です。…さらに読む
日本軍は連合軍の暗号を解読できなくなっていたけど、陸軍中央特種情報部は1945年7月16日にニューメキシコ州で新たな実験が行われた情報を把握していた。大本営はマリアナ沖のB-29の中で、ワシントンへ直接打電する編隊があることに気付き、これを「特殊任務機」と呼んで警戒していた(大本営の堀栄三ら)。8月6日に特殊任務機が発進した時、大本営も陸軍中央特種情報部にも「特殊任務機前進中」の報告が入っていた。8月6日はそういう緊迫化の中で起きた。…さらに読む
パリ万博と人間動物園 1889年、フランスの首都パリで万国博覧会が開催されました。3240万人もの総入場者を集めたこの万国博覧会では、エッフェル塔が完成し、電気技術がパリの夜空を彩りました。大小様々なパビリオンでは、近代産業が生み出した圧倒的な量の商品や、蓄音機や電話などの最新のテクノロジーも紹介され、訪れた大衆は産業文明の結集に驚嘆し魅了されたと言われています。しかし、このパリ万博を有名にしたのは、エッフェル塔や近代産業を象徴するパビリオンだけではありませんでした。パリ万博では別な催しも開催され、それが後の西洋各国の万国博覧会に引き継がれていったことでも有名です。…さらに読む
銭屋五兵衛とは 1811年に海運業を始めた銭屋五兵衛は、日本海の海運を握って富を 築きますが、その裏で西洋との密貿易にも手を染めていたと言われています。その多くは脚色された伝説のようなものですが、明治時代にオーストラリアの タスマニア島で「加州銭屋五兵衛領地」と日本語で書かれた石碑が発見 されたことが読売新聞の記事になり一躍有名になりました。このタスマニアの石碑はイギリスの陶器会社によって持ち運ばれたため、 現存はしないのですが、石碑が発見されたことは当時の現地の複数の 新聞社でも事実を確認していて、かなり正確な情報です。…さらに読む
風船爆弾とは 私の大学の近くに埼玉県立平和記念館という博物館があって、そこで郷土の歴史資料として第二時世界大戦中の風船爆弾の模型と一部実物が展示されていました。風船爆弾は、アメリカ本土を爆撃するために日本軍が開発した兵器で、和紙とコンニャクのりで作られた風船に焼夷弾を積んで、太平洋沿岸から偏西風に乗せて1万発が飛ばされた。話だけ聞くと本土決戦しか打つ手がなくなった日本軍のやけくその作戦のように思えるけれど、実際には5~10%程度が北米に着弾しました。かなりの確率といっていいように思います。歴史上初の大陸間兵器です。日本軍はこの風船に兵士をのせて、アメリカ本土で破壊活動を行うことも想定していた。…さらに読む
恋愛結婚は近代から 現在、日本人の結婚の約87%が恋愛結婚となっており、恋愛による結婚こそ男女の結合の自然な形態であるという考えが広く普及しています。しかし、歴史研究の進歩によって、恋愛と結婚が強く結びつけて考えられるようになったのは、ごく最近、厳密には近代に入ってからであることが明らかになってきました。そもそも日本で「恋愛」という言葉が使われるようになったのは、実は明治時代になってからのことです。当時、『女性雑誌』という雑誌の主宰者をしていた巌本善治が、英語の「love」に「恋愛」という言葉を当てはめた最初の人物であると言われています。…さらに読む
当時の日本の戦争観 戦時中、日本で読まれた数少ない洋書の一つに、E.H.カーの『平和の条件』があります。カーは、国際政治学の基礎を築いた人物であり、その諸著作は現在もなお国際政治学を学ぶ際の古典の一つとなっています。しかし、当時の日本において、カーの『平和の条件』は、もっぱら大東亜共栄圏を中心とした広域圏理論と統制経済論の観点から評価されていたようです。例えば、1943年の朝日新聞の社説では、カーの『平和の条件』を元に、連合国の戦争目的に対して次のような批判を展開しています。彼等はそこで言を変え、我に民主主義擁護の戦争目的ありと答へるかも知れない。前大戦以来の陳腐な言葉ではある。…さらに読む
