死刑とは

死刑とは何か

死刑とは、犯罪者の生命を奪う刑罰である。死刑は最も峻厳な国家刑罰の行使であり、その本質が生命の剥奪であるがゆえに、古来よりその存廃に関して論争がなされてきた。日本は死刑存置国であり、現行刑法において死刑を規定している。(1)

死刑存廃論の争点

死刑の存廃を巡る論争は多岐に渡るが、従来主張されてきたものから有力なものを選んで列挙していくと、下記のものが挙げられる。

死刑存置論の論拠としては、「人を殺したる者はその生命も奪われるべし」というのが国民の法的確信である、世論調査によれば、国民の多くは死刑存置を望んでいる、社会の応報観は、犯人が死刑に処せられることによって満足するものである、死刑を廃止すれば私刑が増加する怖れがある、被害者の親族は加害者が死をもって贖罪したことにより満足するものである、法秩序の維持のためには、死刑の威嚇力はなお有効である、死刑は一種の必要悪である、死刑は無期刑に比べて経費がかからない、優生学の見地からも、改善不能の犯罪者は死刑に処した方がよい、大多数の殺人犯人は、彼らの犯した罪の償いとして死刑を歓迎するものであり、彼らの死ぬ権利を否定するべきではない、法の基礎である絶対的正義の見地よりして、死刑は故意の殺人犯に対する最も正しい刑罰である、等がある。

死刑廃止論の論拠としては、死刑は人道的感情に反する野蛮な刑罰である、死刑には威嚇力がない、死刑は復讐を基礎とするものであって、改善主義の理念に反するものである、誤判の場合において、死刑は一度執行された場合回復できない、死刑の存在は国家が殺人を禁じていることと矛盾する、死刑は犯人の家族に対して重荷を科する、死刑は一般人に対して残忍性を流布し、人命を軽視する結果を招来する、死刑は貧困者に対してより多く科される傾向にあり、不平等な身分的側面を有する、社会からの隔離は無期刑で充分であり、無期刑に代替することにより加害者に被害者の家族の救済をさせるべきである、死刑は憲法に違反する、死刑は自己犠牲の衝動を満足させるものであり、死刑の制度がなければこうした欲求を満足させるための衝動は起こらない、世論調査の結果は世論を正しく反映したものとは言えず、生命の剥奪という重大問題を数のみで解決することには疑問がある、等がある。(2)

しかし、これらの死刑存廃論の争点は実証が困難であることがしばしば指摘されている。例えば、セリンの研究によってアメリカの死刑廃止州と死刑存置州の犯罪抑止効果の実証研究が行われ、それらの州の間には有為な差が存在しないことが明らかになった。しかし、犯罪の増減という多元的要素からなる現象を、死刑の有無という単純な要素に関連づけて相関を論じることには無理がある(3)。

現状において死刑の存廃は高度な政治的判断に懸っているが、先進民主主義国を中心に各国は徐々にではあるが死刑廃止へと動きつつあり、日本においても法的な観点に加えて思想的な観点などからも死刑制度についての再検討が必要とされていると言える。(4)

死刑廃止後の代替刑は如何にあるべきか

死刑廃止後の代替刑としては、仮釈放のない完全な終身刑、安易な仮出獄は運用の問題として解消されるべきで、現行法の無期懲役・禁固、絶対的無期刑ではなく再社会化の希望を確保しつつ、人格の破壊にいたらないように判決確定後最低一五年または二十年間までは仮釈放を認めない無期刑、刑の執行後二十年を仮釈放決算日として社会感情が仮釈放を承認することを必要条件とした特別の無期自由刑、死刑も無期刑も廃止して有期刑、不定期刑、等が提案されている。(5)

私としては、死刑の代替刑は有期刑こそが最も適切であると考える。刑法第三二条の時効論に基づき、刑の言い渡し後、三十年を懲役期間とし、その刑期が過ぎれば釈放する制度を最高刑として導入する。(6)

このことは、刑法上、精神において死刑と同視されている時効三十年の規定をもって、従来の刑罰の効果を国家が保証することを国民に知らせることができ、犯罪抑止効果を信奉する国民には安心感を(抑止効果の実効性に関しては実証による検証が困難であるため、本論では判断を保留する)、応報感情を抱く遺族にはその苦痛の緩和をもたらす。また、無期刑のような死刑を上回る残忍性はない。国民に生命尊重の意識を定着させる教育効果も存在する。さらに、殺人を禁止する国家が自ら人を殺す矛盾が解消され、刑法上同視されている時効論に代替されることにより、刑法の合理主義の精神の維持も可能となる。再審制度を整備すれば、誤判防止の可能性も向上する。

スペインを始めとする中南米の国々も、死刑や無期刑を廃止して有期刑のみで対応している立法例が見られることからも、有期刑の導入が我が国においても実効性を有していることを証明している。(7)

死刑廃止後の遺族感情の鎮静は可能か

犯罪による被害者(遺族)の悲憤をどうやって鎮静化するかという問題は、死刑存廃論の主要な争点の1つにもなっている。

遺族感情を根拠とする死刑存置論は、次のように主張する。何をやっても死刑にならないというのでは遺族の報復感情が充足されない、犯人が生きていること自体が遺族にとって許されないことである、等である。(8)

私は、死刑廃止後の遺族感情の鎮静は可能であると考える。その理由を以下に述べる。

第1の理由は、遺族の応報感情と生命の矛盾と葛藤の解消が計れるためである。現状で国家は、遺族に代わって大切な者を殺した犯人を抹殺することによって「仇討ち」の時代を再現している(9)。しかし、一方で生命の尊重を掲げる現代において被害者の生命を剥奪することは、遺族感情を根本から癒すものではないばかりか、罪があるとはいえ1つの生命を完全に失わせたという矛盾と葛藤を遺族に残すことになる。遺族が犯人の死刑を求めることは多いが、それが意味するのは、現行制度の下での最高刑罰を科してほしいということだけではないかと考えることができる。死刑を廃止した国で被害者感情が爆発したという事件はない。最高刑は有期刑とする制度を導入すれば、「極刑」は「有期刑」となり、生命剥奪の矛盾に悩まずとも、遺族は犯人に最高刑を与える感情的欲求を充足できる。(10)

第2の理由は、犯罪者による遺族への補償が可能となるためである。犯罪者が生存する限りにおいて、遺族への長期にわたる賠償命令(作業賃金制も考慮に入れたものも含めて)が可能となる。「元の生活へ戻りたい」とする遺族の回復感情を満たすためには、物質的・精神的支援が必要であり、犯罪者がその物質的支援を担うことが可能となるのである(11)。

まとめ

今までの議論の中で、死刑制度の存廃論を概観し、その中で死刑廃止後の代替刑として有期刑を提唱し、死刑廃止後において遺族の感情を鎮静できるという観点からその理由について論述してきた。

死刑存廃論については、その争点が多岐に渡ると同時に、廃止論を通じても死刑に代替しうる可能性を指摘することができた。このことは、現状で死刑制度を是認する我が国においても、その是非を巡ってはさらなる検証の余地が充分にあることを浮き彫りにする形となった。実証研究が難しい分野ではあるが、存廃双方とも、その情報を国民に提供し、死刑制度についての国民的議論と、それによる合意形成が急務であると考える。また、いまだ反証可能性を残し、それについての国民的議論が行われない中での死刑執行は、あくまで慎重であるべきと言える。

参考文献

(1)死刑全般の概説については、藤本哲也『刑事政策概論』121〜125p
(2)死刑存廃論の概説については、藤本、前掲書126〜127p
(3)セリンの研究とその限界については、団藤重光他『死刑廃止を求める』50〜51p
(4)死刑存廃の判断と各国の動きについては、藤本、前掲書127p
(5)死刑の代替刑については、藤本、前掲書127〜130p、および団藤他、前掲書154〜155p
(6)有期刑については、花井卓蔵『刑法俗論』202〜203p
(7)海外の有期刑については、藤本、前掲書130p
(8)遺族感情を根拠とする死刑存置論については、団藤他、前掲書40p
(9)「仇討ち」の時代という表現は、団藤他、前掲書117p菊田幸一の言葉による
(10)遺族が現行法での極刑のみを求めているという分析については、団藤他、前掲書120〜121p
(11)遺族の回復感情については、団藤他、前掲書42〜46p

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