日本人は無宗教か

日本人は無宗教か

日本人のかなりの人が、「何の宗教を信じているか」という質問に「無宗教」と答えています。しかし、これは日本人の普段の行動や発想を注意深く見てみると、とても不思議なことです。日本人の多くは、正月になると初詣をしたり、神社へ元朝参りをしたりします。また、何か願い事があると神社に賽銭を投げてお願いをします。夏になるとお寺の先祖の墓へ墓参りに行き、線香をあげます。建物を建てる時には地鎮祭が行われます。誰かが亡くなったら寺から僧侶を呼んで経を唱えてもらい、家に仏壇を置きます。外国人から見ると、これらは立派な信仰心であり、宗教的行為です。

では、なぜ日本人は自分達を「無宗教」と認識するのでしょうか。どうやら日本人が「何をもって宗教を信じていると見なすか」の基準に特徴があるようです。この点に注目した阿満利麿明治学院大学教授は、宗教を「創唱宗教」と「自然宗教」に分類しました。

創唱宗教…特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人のいる宗教のこと。キリスト教、仏教、イスラム教、新興宗教などもこれに含まれる。

自然宗教…自然発生的で誰によって始められたのかもわからない宗教で、創唱宗教のような教祖・教義・教団を持っていない。

日本人は特定の宗派性を持った「創唱宗教」を宗教として認識し、「自然宗教」についてはあまり強く宗教であるという意識を持ってこなかったようです。では、なぜそのようになったのか、そして仏教や神道との関係はどうなっているのかなどについて、これから検討していこうと思います。

大日本帝国憲法と信教の自由

江戸時代、日本は徳川幕府のもとで厳しい禁教体制を築いてきました。その徳川幕府から政権を奪った明治政府も、神道や皇室による国家の統合を目指し、キリシタン禁制だけは徳川幕府から受け継ぎました。しかし、このような姿勢に西欧列強は反発を強め、明治政府に対して信教の自由を求めるようになります。

このため、大日本帝国憲法の制定にあたって、その条文の中に「信教の自由」を盛り込むべきかどうかが政府内で議論されることになります。この条文制定作業で大いに力を発揮したのが井上毅です。

外教制限意見書の中で彼は、キリシタン禁令の今後については3つの考えがあると唱えました。1つ目は、キリシタン禁制を今後も続けること。2つ目は、信教や布教の自由を全面的に許可すること。3つ目は、キリスト教を個々人が心の中で信じることは許すが、布教活動は認めないことです。1つ目の方法は欧米列強が受け入れられず、2つ目の方法は明治政府が受け入れられません。それでこの3番目の方法が大日本帝国憲法の中に導入されることになったのです。

そうして完成した大日本帝国憲法第28条では、

「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」となっており、形式的には信教の自由が認められています。しかし、「臣民タルノ義務」である帝国憲法には天皇の神聖性についても触れられています(天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス)。となると、ここでいう「信教の自由」と「臣民の義務」との関係が問題になってくるわけですが、この点について伊藤博文は、『憲法義解』の中で次のように述べています。

「蓋本心の自由は人の内部に存する者にして、固より国法の干渉する区域の外に在り」「信仰帰依は専ら内部の心識に属すと雖、其の更に外部に向ひ崇拝・儀式・布教・演説及結社・集会を為すに至ては固より法律又は安寧秩序を維持する為の一般の制限に遵はざることを得ず。而して何等の宗教も神明に奉事する為に法憲の外に立ち、国家に対する臣民の義務を逃るるの権利を有せず。故に内部に於ける信教の自由は完全にして一の制限を受けず。而して外部に於ける崇拝・布教の自由は法律規則に対し必要なる制限を受けざるべからず。」

つまり内面では何を信じていようと自由だが、外面は神道に立脚した国家の価値に従わなければならないと説いたわけです。しかしこれは考えてみるとおかしな話で、宗教というのは外部に対しても発露していける自由を保持できなければ(もしくは保障されなければ)十全なる宗教(信教の自由)とは言えないわけです。

江戸時代の「踏絵」による調査などがその宗教の本質を突くものでした。踏絵を踏んで、キリシタンではないと誓い、ミサを行わず、ロザリオを持たず、キリスト教について語らず、お寺の檀家に入るならば、内心は何を信じていようと誰にも分からないし何の影響も持たないと言えます。つまり、大日本帝国憲法は、究極的にはそのような状態の言い換えを行ったにすぎません。

現在の日本国憲法では「公共の福祉」を除いては内面も外面も価値中立ですが、大日本帝国憲法においては、内面は中立、外面は神道や皇室の神聖性という二重性を抱えていたわけです。しかし、当時の日本の宗教界で(キリスト教も含め)この憲法や義解に対して疑問を投げかける人々はほとんどいなかったそうです。それは、なぜなのでしょうか?

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