高学歴、侮り難し。学歴フィルタリングも必要悪

私は大東文化大学というFランク大学を中退した。大東文化大学というと、関東の私大でいうと「早慶上智」の次の「MARCH」の次の「日東駒専」の次の「大東亜帝国」の部類に入るので、一般的には「滑り止めの滑り止め」的な認識をされる大学だ。

大学案内のパンフレットには、「私達は大東大。ビッグ東大です」って書いてあって、入学する時にもそういう話があってコンプレックス丸出して恥ずかしかった。

大学時代は大東雄弁会というサークルに入った。弁論やディベートや社会科学の研究会を行うサークルだ。全関東学生雄弁連盟というインカレがあって、そこで政治問題や法律問題について他大学と弁論やディベートなどで対戦するのだけど、特に学歴に関係なく勝利することが出来た。

雄弁会での私の戦歴

・全関東学生雄弁連盟新人弁論大会 質問賞
・東京大学主催新人ディベート大会 優秀賞
・法政大学春秋杯弁論大会 優勝
・中央大学花井記念ディベート大会 優勝 観客特別賞
 (中央大学に勝利、東京大学に勝利、早稲田大学に勝利)
・東京大学総長杯新人弁論大会 第2の部突破
・全関東学生雄弁連盟ディベートリーグ 
(立教大学に勝利 日本大学に勝利 中央大学に勝利 防衛大学校に勝利 駿河台大学に勝利 東京大学に勝利)
・全関東学生雄弁連盟King of Debate 準優勝 観客特別賞

そういう意味で学歴は政治や法律を議論する上では関係ないな〜と思っていたけど、やはりFランク大学特有の何か緩い雰囲気はあった。お茶の水大学でも教えている先生が来ると、みんな「すごーい!」と言ったり、学生の質に合わせて低いレベルの教育が行われたり、ゼミで発表があると私の発言で簡単に発表者のレジュメの内容が論破されたりした。

何かそういうのが「ダルいな〜」と感じるところがあって、ちょうど大学のクラスメートに失恋した(女の子の方から寄り添ってきたけど、実は彼氏と別れて寂しかっただけで、自分はあっさり捨てられた)痛手もあって中退した。

以降、民主党の選挙事務所を経て、表向きは学歴不問なことが多いWEB業界でキャリアをスタートさせるんだけど、大学時代から現在まで一貫して学歴に関して感じているところがある。それは、「高学歴、侮り難し」だ。

特に東大卒に多いが、事象をすごくラディカルに分析できるタイプがいる。同じ結論でも「そこから証明するのか!」と意外なところから証明が始まったり。それで理路整然と自説を打ち立てることが出来る。常識を疑う時も大前提を大きく覆すような説を立証できる。そういうタイプは話していてすごく面白いし、勉強になる。高学歴にはそういうタイプの人材が高い割合でいた。そしてその割合はある程度、大学の偏差値に比例していた。

もちろん、高学歴でもそういう部分に関して全く暗い人物もいる。仕事が全然出来ない人物もいる。ただ、確率の問題として、どこの馬の骨ともしれない学校の人材よりは、高学歴の人材の方が総合的な面で力を発揮する場合が多いし、物事をラディカルに考えられる場合が多い。あくまで確率の問題だが、この確率の問題が人事採用では非常に大きい。

特に短期間で多くの新卒を評価しなければならない大企業にとって、全ての人の人間性や能力や将来性を多面的に評価していくことは不可能に近い。だから、確率の問題としての学歴フィルタリングの導入が必要悪という話は理解できる。もちろん、それで拾った人材の中は玉石混淆で、石もいるんだろうけど、玉の割合が相対的に高いと踏んでいるんだろう。

これは文化的な問題でもある。出自の文化資本の影響もあるだろうし、正統文化の後継者として育ってきたものが、競争過程の中で自己の正当性を再承認されていく過程でもあるんだろう。この再生産の構造は差別的だが、学歴が低い層はこの構造を破壊するほどの価値を(全体でみると)創出できていない。だから彼ら学歴エリートに支配されてしまう。ウィリスがイギリスの職業高校を分析した『ハマータウンの野郎ども』の世界だ。

高学歴、侮り難し。「学歴なんて関係ないさ」という言説がむしろ学歴の価値を押し上げているのだ。その構造に気づかない限り、支配と再生産を脱却できない。