課税の根拠学説

なぜ国家は課税ができるのか

市民革命が起きる前の国家、つまり領主や国王が支配する国家は、「家産国家」と呼ばれています。家産国家においては、領土・人民・財産がすべて君主のものとされ、財産権と課税権は一体のものとなっていました。民衆の収める税金は、支配者に対する貢納であると同時に、土地を借りて農耕や商業を営む地代としての性格を持っていました。このため、国家の予算と国王の私的家計との区別はほとんど存在しませんでした。

しかし、資本主義の発達と共に、国王や特権的商人による富の蓄積と重税への反発が激しくなり、イギリスやフランスなどで市民革命が起こります。市民革命によって誕生した近代国家においては今までの家産体制は否定され、国家はそれ自体は財産を持たない「無産国家」となりました。そのため、国家はその活動を維持するために必要な資金調達を租税に求める「租税国家」への道を歩むことになったわけです。

では、市民革命以降の近代国家による課税権の根拠は、どこら辺にあるのでしょうか。この租税の根拠に関する学説は、大きく分けて2つあります。「租税利益説(応益説)」と「租税能力説(応能説)」です。

租税利益説と租税能力説とは

租税利益説は、17世紀から18世紀にかけて、社会契約説的国家観にもとづいて展開された学説です。この学説では、(1)自由な私有財産の所有と、国家による私有財産に対する課税との間には矛盾が存在することが暗示されているが、(2)国家は財産所有者の利益共同体であり、租税はこの共同体に入って利益を得るために支払わなければならない対価である、と説明しています。この発想は、今日では、受益者負担を合理化する大衆課税の論理、地方税課税の論理、企業課税適正化の論理などに活かされています。

一方、租税能力説は、19世紀後期、ドイツ財政学によって完成された学説です。この考えによれば、国家は社会と個人を超越した歴史的、倫理的な有機的全体であり、租税はこの有機体としての国家の一般的利益のために徴収されるとしています。それは個々の納税者の利害を超越した義務とされ、この義務の遂行は、納税者の支払能力に応じてなされなければならないと説いています。この発想も、現在の給付能力課税を支える考え方になっています。

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