銭屋五兵衛によるタスマニア領有

銭屋五兵衛とは

1811年に海運業を始めた銭屋五兵衛は、日本海の海運を握って富を 築きますが、その裏で西洋との密貿易にも手を染めていたと言われています。 その多くは脚色された伝説のようなものですが、明治時代にオーストラリアの タスマニア島で「加州銭屋五兵衛領地」と日本語で書かれた石碑が発見 されたことが読売新聞の記事になり一躍有名になりました。

このタスマニアの石碑はイギリスの陶器会社によって持ち運ばれたため、 現存はしないのですが、石碑が発見されたことは当時の現地の複数の 新聞社でも事実を確認していて、かなり正確な情報です。銭屋五兵衛は獄死したため本人が行ったのか真相は定かではないですが、 銭屋の海運ネットワークはオーストラリアの辺境にまで到達していたのですね。 銭屋の獄死の翌年にアメリカ艦隊が江戸湾に出現して、日本が一気に貿易自由化へと突入したことを考えると惜しい人材をなくしたものですね。

まぁ実際に彼が獄死しなかったとしても、タスマニア領有はイギリスなどによって無かったことにされただろうけれど、こういう江戸期の長崎や琉球王朝を経由しない無名の密貿易は記録されてないだけで沢山あったんだろうな。ジョン万次郎がアメリカの商船で救出されたくらいだから、海運上の接触も一般に思われている以上に沢山あったんだろうと推測します。

通信を巡る人間の欲望

西洋が世界中に船を送って地理上の発見をする以前から、ハワイ島にもイースター島にも人間が定住していた。定住という事実は重要で、単に男ひとりや数人が漁に出て遭難しただけでは子孫が残せないので、定住は発生しない。一定規模以上の男女を伴った船団が比較的同じ時期に島に到達していないと、ハワイやイースターに人間の集落は存在できない。文字すらも持たないオセアニアの人々がそんな広域海洋ネットワークを形成していたのが素直に驚異的ですね。

インターネットに限らず、ただ記録されていないだけで、人間のネットワーク力ってすごいんだなぁと思った。

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