風船爆弾の戦果

風船爆弾とは

私の大学の近くに埼玉県立平和記念館という博物館があって、そこで郷土の歴史資料として第二時世界大戦中の風船爆弾の模型と一部実物が展示されていました。

風船爆弾は、アメリカ本土を爆撃するために日本軍が開発した兵器で、和紙とコンニャクのりで作られた風船に焼夷弾を積んで、太平洋沿岸から偏西風に乗せて1万発が飛ばされた。話だけ聞くと本土決戦しか打つ手がなくなった日本軍のやけくその作戦のように思えるけれど、実際には5~10%程度が北米に着弾しました。かなりの確率といっていいように思います。歴史上初の大陸間兵器です。

日本軍はこの風船に兵士をのせて、アメリカ本土で破壊活動を行うことも想定していた。米軍は、日本軍が風船爆弾に化学兵器や生物兵器を搭載することを恐れていた。アメリカでは報道管制が敷かれて、風船爆弾の被害は報道されず、具体的な戦果が見えなかったので作戦は中止されました。

風船爆弾の戦果

風船爆弾の意外な戦果として、日本に投下する原爆をつくっていたリッチモンドのプルトニウム製造工場を停電を起こさせて、長崎型原爆の製造をわずかながら遅らせたという事例があります。この事実がほとんど知られていないのはどうしてなんだろう。。。

小川町は風船爆弾の和紙製造の一大拠点で、そこで製造された和紙が、風船爆弾の組み立てに使われた日本劇場や東京宝塚や両国国技館などに大量に運ばれました。そういう歴史があって小川町はけっこうよく覚えています。

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