「日本の侵略戦争を美化する危険人物」として留学生から抗議された思い出

集団的自衛権を巡る議論が活発化しているので、今日は戦争の話を書こうかな。以前にも、ニューギニア戦線と民主主義を守る父と民主党員の私で少し書いたように、私はいわゆるリベラル左派かつ反戦平和主義、戦後民主主義は修正が必要だけど割と肯定的に捉えている立場。

でも、そんな私も大学時代に「日本の侵略戦争を美化する危険人物」として中国や韓国の留学生達から抗議された思い出があります。

文明の衝突

私は高校時代に相馬の本屋さんで新刊書コーナーに出ていたハンティントンの『文明の衝突』を読みました。当時は東西冷戦が終結して、米ソが今まで武力で抑え込んでいた世界各地の民族紛争が活発化していて、新世界秩序が話題になっていた時期。

『文明の衝突』でハンティントンは、今後の世界は資本主義対社会主義という対立軸ではなく「文明」を中心に争われると予見しました。中華文明やヒンドゥー文明やアラブ文明や西欧文明など。日本は単独で日本文明。フランシス・フクヤマの言うような「歴史の終わり」(自由主義の最終的な勝利)はなくて、この文明が相互に対立したり強調したりする時代になると指摘していました。

「世界やべぇ!」って思った私は、大学では国際関係を専攻しようと思いました。それで、大学入試のために上京して国際基督教大学と大東文化大学を受けました(大東文化大学は当時の彼女の隣町の大学)。結果、国際基督教大学は落ちて、大東文化大学は合格したので、大東文化大学の国際関係学部に進学しました。1998年4月のお話。

国際関係学部では入学時にコースを決めるんだけど、私は「南アジアコース」を選択しました。理由は、今後の世界はインドを中心に動くと思ったからです。当時インドは世界第二の人口で貧しい国でしたが、今後急激に人口や経済が伸びて世界大国になることが確実視されていました。私は日本はインドと同盟を結ぶことで、文明の衝突を生き残ることが出来るのではないかと思いました。

南アジアコース選択を決めた1ヶ月後の1998年5月、インドは核実験を実行して核兵器の保有を世界に宣言しました。それに合わせてパキスタンも核実験を実行。私は強い衝撃を受けて、「世界やべぇ!」という思いをますます強くしました。

国際関係学部のクラスメートの友達を中心に「新世界秩序研究会」(略称「ちつけん」)という研究会を立ち上げました。「新世界秩序研究会」は自主的な研究会で、講義が終わった後にみんなで集まって課題を決めてレジュメを切って発表し合いました。多い時には十数人の参加者がいました。そんな感じで文明の衝突を乗り越えて、新世界秩序を構想していく必要があると思ったのです。

小林よしのりの『戦争論』

7月になって、漫画家の小林よしのりが『戦争論』を出しました(いわゆる第1巻)。小林よしのりは『ゴーマニズム宣言』を読んでいて注目していたのですが、『戦争論』を読んでまた強い衝撃を受けました。欧米諸国の植民地になっていなかった日本は、自存自衛とアジア解放のための戦うべき理由があって大東亜戦争に突入した。その主張は、以前から相馬の本屋さんでも保守系の著者の書籍で読んでいましたが、それが漫画として活写されていました。

小林よしのりの『戦争論』はベストセラーになり、当時飛ぶように売れていました。パソコン通信でも初期のインターネットでも話題になり、テレビでも取り上げられました。今までもパソコン通信や初期のインターネット界隈は、メディアに比べて保守系の論調が主流だったのですが、細々と政治や歴史や軍事の話題を語っていた感じです。それが一気に盛り上がって話題を追うことすら出来ない大論争になりました。みんなが『戦争論』に共鳴していました。

それくらい、当時の小林よしのりの『戦争論』は影響力がありました。私は『文明の衝突』と同じくらい衝撃を受けて、いま日本で湧き起こっているこの状況を世界に伝えて理解してもらわないと、文明の衝突が激化するのではないかと思いました。

留学生ゼミでの『戦争論』の発表

大学1年生だったので必修のゼミはなかったのですが、一般教養の総合科目でゼミを取っていました。そのゼミは自由にテーマを決めて発表し合うというゼミ入門のような科目でした。毎年数人の受講者がいるのですが、その年はなぜか日本人は私1人だけで、ほかに中国や韓国の留学生グループの人達が10人くらい受けていました。

ゼミを通じて中国や韓国の留学生と仲良くなって、私のために中国や韓国の文化を紹介するレジュメの発表をしてくれたりしました。キャンパスでもよく声を掛けてくれました。

特に中国人の金さんと仲良くなって、「ディズニーランドに女の子2人と行くのですが、齊藤さんも来ませんか?」と呼ばれて、4人でディズニーランドに行ったり。ゼミのみんなで東京国立博物館に見学に行ったり、上野公園でお弁当を食べたりして、楽しく過ごしました。

そこで私は決意しました。ゼミでいま日本で起きている『戦争論』ブームを発表しようと。そして文明の衝突ではなくて和解への道を探ろうと。

中国や韓国の歴史認識は、現在ほどではないですが当時も知っていたので、『戦争論』の主張の内容をまず紹介して、それに対する肯定意見や否定意見を盛り込んで中立な発表にしようと思いました。ただ、意見の部分は出来るだけ少なくして、まず現象としての『戦争論』が支持される背景には何があるのかを取り上げようと思って準備しました。

そうしてゼミで私の発表を行いました。日本だけが独立国であったこと、ABCD包囲網、ハルノート、自存自衛、大東亜共栄圏、靖国、愛国心、神風特攻隊、南京大虐殺への疑問、従軍慰安婦への疑問、戦争責任、パール判事、戦後賠償、GHQの印象操作、戦後のアジア独立運動、公共心、浮遊する個など『戦争論』の争点を網羅的に紹介して、さらになぜそれが日本で支持されつつあるのかを紹介しました。

発表の途中で、韓国人留学生の女性が私の発表を遮って大きな声を上げました。

「さいとうさんはどう思うんですか!?」

と。

「今回の発表では日本で起きている戦争論争を中立的に取り上げて、まず争点を明確化したいと思っています」

「そんなの中立的じゃないと思います。この問題に対してあなたがどう思っているのか。否定的な視点もないと中立じゃない」

「いや、いまその中立な軸がどこなのかが日本で問われているのです」

「さいとうさん、あなたを見損なった。あなたは日本の戦争を正当化している」

途中で教授が割って入って私の発表を止めました。教授いわく、

「私はさいとうくんを評価していたけど、さいとうくんの能力は諸刃の剣だと知った。さいとうくんは歴史に対して客観的に見る視点が足りない。これで発表を終わります」

それで発表は終わりました。普段は私と挨拶をして帰るはずの留学生達は怒りの表情で黙って教室を出て行きました。金さんも黙って出ていきました。

文明の衝突を乗り越えて、過去の歴史の争点を明確化して和解に持って行こうとした自分の発表は失敗に終わりました。むしろ私と留学生達の関係が終わるという結果をもたらしました。留学生達は私と会っても無視して、以後、私と話すことはありませんでした。

その後、大学の留学生団体から私が「日本の過去の戦争を美化する危険人物」として抗議され、その抗議状が教授に届いたことを知りました。ほかの受講科目は全部成績がAでしたが、そのゼミの講義だけBでした。

何だか正直、大学に通いにくくなったのもあって、大学2年生の時に大学を中退する理由の1つになりました(大きくは恋愛問題だけど)。

その後

たまに歴史論争に加わったりもしたけど、外国人、特に中国人や韓国人と話す時は絶対に歴史や政治の話は避けるようにしました。政治やプロ野球の話を素人にする時と同じくらい注意をするようにしています。

いま、日本の中国や韓国に対する見方はだいぶ変わってきています。日本はインドやモンゴルとも接近して対中包囲網を強めています。

大学の痛い思い出もあって、戦争や歴史を巡る論争には一歩引いてしまっている自分がいます。いま、中国人や韓国人のエンジニアの友人がいるので彼らとの関係も大事にしたい。ヘイトスピーチ問題には心を痛めています。

ただ、千代田区民で靖国神社は近いので、桜の花見の時などよく寄ります。8月15日に参拝して昇殿したりもしました(その時は右翼系団体が靖国神社前で沢山勧誘活動をしていてメチャクチャ邪魔だった)。千鳥ヶ淵にはない神聖な雰囲気はあります。

政治的な右や左や、国の違いや、文明の違いを超えて、みんなが仲良く暮らすことが出来ればと思っています。そんな自分はみんなの敵の民主党員。鳩山っぽいお花畑脳でスミマセン。