学歴による収益率

学歴による「収益率」とは何か

学歴収入の関係はどうなっているのでしょうか。私達は日常生活の中でこのようなことを深く考えないかもしれませんが、漠然と高学歴(中卒よりも高卒、高卒よりも大卒)の方が将来の就職や生活に有利であるというイメージを持っています。高い学歴を取得するにはそれだけ費用がかかりますが、それを補って余りあるほどの便益(利益)が将来に渡って継続すると思っています。そして、この漠然としたイメージが社会に広く行き渡っていることが、多くの人が高校あるいは大学に進学する大きな要因となっていると考えられます。もし学歴が何の実利も生まず、ただ何百万円も費用のみがかかるだけであったら、今より大学へ進学したいと思う人はずっと少なくなるはずです。また、親も子供を大学へ行かせるための教育費を熱心に支出したいとは思わないでしょう。つまり、教育に費用を掛けるということは、将来への投資としての側面も持っていると言えます。

それでは実際のところ、大学へ進学した場合には、進学しなかった場合に比べてどれくらい所得に差が出るのでしょうか。また、大学へ行くにはそれだけ費用がかかりますが、費用に対してどれくらい見返りとなる便益が期待できるのでしょうか。ちょっと複雑になりますが、この問題を考えてみましょう。

まず、大卒の平均的な生涯所得の推計値は3億1600万円(97年予測)であると言われています。一方、高卒の22歳以降の生涯所得は2億4500万円であると言われています。つまり、大学に進学した場合は進学しなかった場合よりも、平均して7000万円ほど生涯所得に差がつくことになります。したがって、この7000万円は大学教育の効果であると考えられます。しかし、この7000万円を得るには費用がかかっています。その費用とは、まず年間100万円ほどの大学の授業料が4年分含まれるでしょう。そして、大学進学者は、高卒のまま就職したら得られたであろう所得を4年分放棄しています。この放棄所得は4年間で1200万円ほどであると考えられています。授業料と放棄所得を合計した1600万円の費用を支出(放棄)することによって、7000万円の便益が生まれるわけです(もちろんこれは平均値であって個人差があります。個人によっては大卒の人でも高卒より下の年収で働く人もいれば、高卒の人が大卒を上回る所得を得る場合もあるでしょう。あくまで全体的に見た傾向であることに留意してください)。

それではこの「1600万円の費用によって生涯7000万円の便益が得られる」という状況をどのように解釈すれば良いのでしょうか。冒頭で、教育は将来への投資としての側面を持っていることを指摘しました。1600万円を投資した(貯金したと捉えても良いでしょう)と考えると、それが生涯に7000万円にまで増加する利子率は、複利計算をすると約6%となります。この6%の利子率が、教育という投資活動による収益率です。1600万円かけて収益率6%の効果が期待できるということを大きいと見るか小さいとみるかは、それぞれの主観的な判断によるでしょう。超低金利の時代、銀行に預金しても雀の涙くらいの利子しかつかないのに、6%もの利子が期待できるのは大きいと言えるかもしれません(あくまで平均値ですが)。あるいは、1600万円も1度に支出しなければならないのに、その効果が徐々にしか出てこないのは小さすぎると考えることもできます。

国際的に見ると、日本の大卒学歴による収益率は低い水準にあるようです。98年のOECD(経済協力開発機構)レポートには17カ国の収益率が掲載されています。そのデータでは、日本よりも収益率が低いのはスイスの5.5%だけです。アメリカは12.6%となっています。各国の単純平均も12.4%であり、日本の2倍以上も収益率が高いことになります。「学歴社会」という言説が広く唱えられている日本ですが、実は諸外国に比べて学歴による所得格差が小さい社会であることはあまり知られていません。

私的収益率と社会的収益率の関係

所得には必ず税金がかかることになります。先ほどの収益率の説明で提示した大卒の生涯所得(3億1600万円)は、税引き前のものです。税引き後の所得を計算すると大卒では2億8100万円になると言われています。つまり、大卒が生涯に納める税金総額は3600万円ほどになると考えられます。この大卒の税金総額は、高卒の人が納めている税金と比較してどれくらい多いのでしょうか。この問題を考えるためには、(18歳以降ではなく)22歳以降の高卒の生涯所得を大卒の生涯所得がどれくらい上回っているかを推計する必要があります。

22歳以降の高卒の生涯所得は2億3400万円であると言われています。したがって大卒の収益増加分は、税引き前では8200万円、税引後では6600万円となり、高卒よりも税金の支払額は1600万円増加している計算になります。この点を考えると、大卒者が1人増えるごとに政府は平均して1600万円の税収増が見込めることが分かります。大卒者の増加は、一見すると大卒の価値を下げ、大卒全体の収益率も減少しそうに見えますが、日本では大学進学者が急激に増加しても一貫して一定の収益率を維持しており、減少の傾向は見られていません。大卒者の増加によって、大きな収益を得られやすい(=税収増を生みやすい)産業構造へと変化していったことが要因になっていると考えられます。つまり、大卒者の増加は政府にとっても利益のある投資であると考えることができます。

今まで、大学進学が個人にとっても政府にとっても平均的に見て利益をもたらしていることを見てきました。それでは、(大学進学によって)より多くの利益を得ているのは、個人でしょうか?政府でしょうか?個人は大学の学費や高卒者4年分の機会費用を支出しています。一方、政府は国立大学に予算を支出し、私立大学にも私学助成金を支出しています。これらの点も含めて、大学教育の直接費用を暫定的に測定した矢野眞和の研究によると、国立大学においては私的収益率(個人の収益率)の方が社会的収益率(政府の収益率)よりも大きいという結果になりましたが、私立大学にお いては社会的収益率の方が私的収益率よりも大きいという結果になりました。つまり、国立大学では政府よりも個人の方が収益率が高く、私立大学では個人よりも政府の方が収益率が高いというデータが得られたわけです。

国立・私立の社会的・私的収益率と教育の直接費用
矢野眞和『教育社会の設計』における暫定的な推計値
  社会的収益率 (年間費用) 私的収益率 (年間家計負担)
国立大学
5.2%
(200万円)
6.3%
(50万円)
私立大学
6.1%
(120万円)
5.6%
(120万円)

国立大学は私的収益率>社会的収益率であり、私立大学は社会的収益率>私的収益率である構造。そして税金を払い、大学の学費も払うという構造。これ らについては様々な解釈が可能であり、様々な議論が可能でしょう。また、ここで述べられているのはあくまで推計や単純なモデル化であって、現実には様々な要因が影響してより複雑なものとなります。しかし最大の問題として考えなければならないのは、日本では政府機関でも大学でもこのような教育と経済の実証的な研究がほとんど行われてこなかったことです。イギリスは国が大学へ多額の支援金を支出していますが、その学費負担のあり方を巡って、政府機関の報告書でも私的収益率や社会的収益率を用いた議論が展開されています。日本ではこのような実証的な研究成果はほとんど蓄積されておらず、何となくのイメージで国立大学の独立法人化、私立大学への私学助成金の減額などが議論されています。議論の前提段階として、実証研究への支援を行っていく必要があると言えます。

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