P.ブルデュー「世論なんてない」

世論の正統性

「世論」は、民主主義体制において私達有権者の意見を代表するものとしてマスメディアで「調査」「報道」され、政治において世論は尊重されるべきであると考えられています。しかし、社会学者P.ブルデューは1970年代に「世論なんてない」という論文を『レ・タン・モルデルヌ』誌に発表しました。『世論をつくる』は、そのブルデュー社会学の影響を受けたシャンパーニュ氏によって書かれたものです。

僕もまだこの本は読みかけで、まだ僕にはブルデューの描いた世論の虚構性のイメージしかありません。そのイメージを端的にまとめますと以下のようになります。

現代における世論とは、調査会社(生産側)とマスメディア(流通側)と政治学者(正統性の認定側)の相互の共犯関係によって生まれた、質問に回答する能力と意思を持った社会階層による一種の社会的文化的圧力を指す。

世論調査がマスメディアで発表される際に非常に軽視されて言及されることですが、世論調査には「無回答」や「回収率」なるものが存在します。その割合は調査によっては5割に達するなど、無視できない数です。この無回答の中には(何らかの政治的意見を持っていながらも)面倒だから答えなかった人もいるでしょうが、それ以上に多いと考えられるのが「その問題に関して回答を用意していなかった」層の存在です。世論調査は、何らかの問題設定に関して有権者が等しく回答を持っていることを前提として調査されますが、政治的議論に関して回答を構成できるだけの情報やアクセスを有しているのは、実は特定の社会的地位(もっと正確に表現するならば文化資本)の影響下にある社会階層です。

政治的議論に関して意見を構成する能力や資源は、平等に社会成員に分配されているわけではありません。したがって世論調査結果とは、そのような不平等下における資源配分のバイアスとしても理解されるべきです。世論の数値が民主主義における有権者の意見を代弁していると考えるのは、一つの虚構でもあり、イデオロギーでもあり、信仰でもあります。

『世論をつくる』の巻末にも以下のように訳者の紹介が書かれてあります。

本書は、利害のために戦われる政治が、現代ではどれほど、どのような意味で象徴闘争、したがって文化資本の闘争になっているかを明らかにする。特にマスメディアを媒介として、世論調査と、公的空間での示威行動がこの象徴闘争に関わってくることを具体的に、また批判的に示してくれる。

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