アメリカ大陸では馬は1万年前に絶滅した
アメリカ大陸のアンデス文明は、何故ユーラシア大陸の西洋文明に破れて滅亡したのでしょうか。これには諸説あり、『銃・鉄・病原菌』(まさにタイトルそのものがアンデス文明に欠けていたものですが)においては「文明は気候差の影響などで東西に伝播する速度のほうが南北に伝播する速度より速く、南北に長いアメリカ大陸は地勢的に文明の伝播に不利な状況があった」などと指摘されています。
私はそのような地勢的な状況もあった一方で、『銃・鉄・病原菌』でも重視されていてもテーマの本質ではなかった「馬」の存在の有無が両大陸の文明を分かつものであったと思います。意外と知られていない事実ですが、アメリカ大陸には馬が存在しませんでした。
正確には、紀元前200万年前〜100万年前までは北アメリカ大陸は馬の先祖の原産地だったのですが、その後の気候変動や人間による狩猟により、野生の馬はユーラシア大陸でもアメリカ大陸でもほぼ絶滅しました。アメリカ大陸では紀元前1万年頃には馬は完全に絶滅したと考えられています。
馬の文明としてのユーラシア文明
いっぽう、ユーラシア大陸では馬はわずかに生き残っていました(馬に関する人類の最古の記録はラスコーの壁画です)。その生き残っていた馬を家畜化することに成功し、馬を手綱で引くことによって農耕に使われた形跡があります。紀元前25世紀には北アジアで騎乗が行われていた記録があり、鐙(あぶみ)の発明によって乗馬技術が向上し、紀元前5世紀頃から匈奴やアケメネス朝において馬が軍事力として用いられ始め騎兵が登場したことが記録として残っています。アケメネス朝ペルシアを滅ぼしたアレクサンダー大王の遠征も馬を中心に行われました。
日本には元々馬が存在しませんでしたが(縄文時代や弥生時代の遺跡からは馬骨に関する出土はなく、『魏志倭人伝』においても倭国には牛や馬は存在しないという記述があります)、4世紀末から5世紀にかけての古墳から馬骨や馬具の出土が確認されており、この頃から馬と騎乗の技術が日本に伝来したと推定されます。この時期はヤマト王権が地域の様々な豪族を従えて連合国家の形成を始めたと推定される時期と重なっており、乗馬技術を使いこなす王権が隆盛であったことを伺い知ることができます。もちろん、渡来人からもたらされた技術は馬だけではありませんが、馬によって広域に渡る国造りが技術的に可能になったとも考えられるのではないでしょうか。
モンゴル帝国の成立事例を見るまでもなく、広大な国土の維持のためには、国王や政府の命令を高速に伝達する通信手段としての馬の存在が欠かせません。軍事力としても馬を用いれば更に遠くの地域への遠征が可能です。実際、歴史上の文明で広大な版図を維持できたのは乗馬可能な地域に位置している文明が多いです。とりわけ馬が高速に走行できる平野の草原地帯が広がっている地域です。もちろん高原や海流ネットワークの中に発達した文明もあり、その価値は近年見直されてきていますが、確固とした国境線がなく、軍事技術も発達しませんでした。
馬に乗って急速に走行する技術の発達から、車輪の普及も行われたと思われます。ユーラシア大陸における車輪の歴史は騎乗の歴史より古く、紀元前二千年以上過去に遡るのですが、馬と車輪の技術が結合することによって、極めて高速に大量の物資を輸送することが可能になりました。車輪の技術だけでは道路が整備されることはありませんでしたが、馬に車輪を引かせることによって道路の必要性が生まれ、ユーラシア大陸の各都市が道路によって結ばれるようになります。馬が存在しなかったアンデス文明においては、車輪の原理を発明することが出来ませんでした。子供の遊び道具の埋葬品から、原始的な車輪を使った物体を使用していたことは近年確認されたのですが、車輪が国家レベルで技術として活用されることのないまま、ヨーロッパ人の来航を迎えることになります。
ユーラシア文明は馬と銃でアンデス文明を滅ぼした
アンデス文明においては馬が存在しなかったため、歴代の王国の通信伝達手段は牛などの低速な動物に頼らざるを得ませんでした。このため、アンデス文明の歴代王国は、わずかな版図しか維持することが出来ませんでした。王国の情報も各地に充分に伝達されず、王国の滅亡によって人々が再び旧石器時代の生活にまで舞い戻った事例もあります。物資輸送や軍事技術も人間の足に頼らざるを得なかったため、大きな飛躍を見ることはありませんでした。
アンデス文明はユーラシア大陸の文明と同じくらい古くから発展していたのと、かなりの規模の人口を抱えていて(人口が大幅に減少したのは西洋人が持ち込んだ病原菌と虐殺によってです)、潜在的に大きく発展する可能性を持っていながらも、馬が存在しなかったために長期間そのポテンシャルを活かしきれず、ユーラシア大陸の文明に差を付けられてしまったと思われます。
西洋人はアメリカ大陸到達によって、アメリカ大陸の存在を知ると同時に、アンデス文明がユーラシア大陸の諸文明と違ってかなり劣った軍事技術や通信技術しか持っていないことを早期に見抜いていました。そして、スペインは27頭の馬と168名の銃で武装した軍隊を船団に乗せて送り込み、インカ帝国の4万の軍勢を撃破し、アメリカ大陸の制圧に成功しました。以後、アメリカ大陸の先住民は虐殺と奴隷化の試練の道を歩むことになります。
近代化と馬
アメリカ大陸の制圧によって莫大な富を手に入れた西洋では産業の革新が相次ぎ、この一連の産業革命によって近代化を迎えます。しかし、近代化を迎えたヨーロッパにおいて「馬力」がエネルギーの単位であったり、馬車を活用して街道を行き来していたり、産業における基本的な主役はやはり馬でした。
軍事力の主力も騎兵です。騎兵にサーベルや銃(カービン)を持たせることによって機動性と攻撃力の両面を兼ね備え、ナポレオンの戦いにおいても、日露戦争においても、敵陣を突破する戦力として騎兵隊が活用されました。騎兵隊に代わる敵陣を突破可能な戦力が出現したのは、第一次世界大戦になってからのことです。
私達が現代文明の恩恵を受けているのも、ユーラシアの諸文明が馬の文明であったことと密接な関係があると思います。
追記:鐙の発明時期について
鐙の発明時期について匈奴、アケメネス朝、アレクサンダー大王の時代に使われているかのように書いてしまいましたが、この記事を読まれた方から、考古学上は4世紀以降から鐙の使用が確認されているというご指摘がありました。私もご指摘を受けてよくよく調べ直したところ、鐙の発明→騎兵ではなく、騎兵の発達→鐙の発明という説が有力でした。アレクサンダー大王の記録を見ても鐙は使われておりません。鐙が発明されるまではは、幼少期から乗馬の習慣がないと騎兵としての戦力は段違いだったので、騎馬民族が圧倒的だったそうです。正確な情報をくださった方に感謝いたします。