美術館と芸術資本

美術館に集まる人々

多くの美術館は誰にでも開放されています。例えば「大卒以上でなければ入館できません」「農家の人は入館できません」などのように、その人の社会的な属性に よって入場制限している美術館はほとんど存在しません。また、美術館の入館料も多くの人々にとって大きな負担になるような額ではありません。しかし、「開放されている」ことと「実際に行く」ことは別問題です。では、どういう人達が美術館へ行っているのでしょうか。

社会学者ブルデューら が1960年代にフランスの美術館に対して行った調査によると、観客全体に占める比率では、農業1%、生産労働者4%、商人・職人5%、事務職および中級 管理職23%、上級管理職・専門職45%となっていました。全就業者の5%に満たない上級管理職・専門職が観客の4割以上を占め、就業人口の4割近くを占 めるはずの生産労働者は美術館の観客全体の4%でしかなかったのです。

観客の好む「好きな画家」
ブルデュー他『美術愛好』(1969年)
無回答 19世紀までの
西欧絵画
印象派絵画 現代絵画
庶民階級
67%
18%
10%
5%
中流階級
36
32
22
10
上流階級
21
48.5
14
16.5
全体
30
36
21
13

左の表は、ブルデューらがヨーロッパの主要美術館の観客に対し、好みの画家の流派や時代について調査した結果をまとめたものです。まず、「好きな画家」を挙名できるかどうかに階級差があることが分かります。庶民階級で好きな画家を挙名できた者は3分の1にすぎないのに対し、上流階級では8割が何らか の回答をしています。また、印象派の作家を挙げた者は各階級でそれほど差もなく存在しますが、(形式的要素への興味と中立化された対象関与などが鑑賞の鍵 となる) 現代絵画の画家を挙げた人の割合は庶民階級と上流階級とで3倍以上の開きがあります。

芸術資本とは

ブルデューは、現代美術のように高度に抽象化された絵画を「鑑賞できる」のは、生まれつきの先天的な才能によるよりも、どれくらい鑑賞に必要な知覚 を自分のものとして集められるかという、後天的な要素によるところが大きいと考えました。そしてこの鑑賞に必要な知覚は、財産のように各階層それぞれにば らつきがあると考え、それを芸術資本と呼びました。象徴財としての芸術作品そのものは、それを解読しうる鑑賞眼、すなわち芸術資本が必要であると説いたわけです。

D.ホールがニューヨークで行った調査でも、「家に抽象画がある」とする者は都心上層階級では60%に上ったのに対し、郊外労働者階級では5%にすぎませんで した。さらに、「抽象画なんて、アスファルトにしたたり落ちたペンキの跡を壁に飾っているようなものさ」(ニューヨーク郊外の大工)という言葉のように、 抽象画を「ばかばかしい」とし、上層の芸術趣味をもったいぶった態度で揶揄する「反芸術」の言辞を用いていることも確認されました。(この点は、P.ウィ リスの指摘した反学校文化とも関連性があると考えられます)

上層階級の子弟の美的性向

一 方、上層階級の側については、ブルデューが「意識的に学ぶこと」なしに美的性向が獲得される傾向にあると指摘しています。実際、ブルデューらがインタビューしたパリの上層階級の少女は、両親から何の圧力を受けることもなく意図も努力も感じさせずに広汎な教養を示すことができました(下記参照)。

「美術館にはよく行きますか?」
「あまり行きません。リセではあまり美術館には行かなくて、歴史博物館に行くことの方が多いですね。両親はどちらかというと劇を見に連れていってくれます。美術館にはあまり行きません」
「好きな画家は?」
「ヴォン・ゴッホ、ブラック、ピカソ、モネ、ゴーギャン、セザンヌなんか。 でも、現物は見たことがありません。家で画集を見て知ったんです。ピアノは少しやります。それだけ。音楽を聴くのは大好きだけど、自分で弾くのはあんまりね。バッハ、モーツァルト、シューベルト、シューマンなんかはたくさんあります」
「ご両親は読書を勧めますか?」
「自分の読みたい本を読みます。家にはたくさん本があるから、読みたいと思った本をとるんです」
(大学教授の娘、13歳、古典教育課程第4学級(日本の中学2年から3年に相当))

こうした態度形成は、第一に芸術作品への時間をかけた日常の慣れ親しみ、第二に親たちの非指示的ですが暗示に満ちた言葉や見方の取り込み、第三に知識としてよりも慣習的行動としてのそれらの内化(身体化)などが要因として挙げられると考えられます。

日本における芸術資本研究

日本の学歴別美術館訪問者
山下雅之「美術館と教養」より
総サンプル数は5128
大学卒・在学 45%
短大高専卒・在学 14%
専門学校 7%
高校卒・在学 19%
中学校 2%
NA 8%
その他 5%

上記の例はあくまでフランスを中心とした欧米の事例であり、日本では欧米ほど上層と下層の芸術資本の格差が広がっていないことが各種の研究で明らかになって います。しかし、美術館が幅広く人々を呼び込もうとする企画を打ってもなかなか人が集まらないこと、芸術的素養が先天的なものであると思われがちなことなどは、この芸術資本の視点からも分析を行っていく必要があるように思います。