土鬼諸侯国連合の神聖皇兄ナスリムと人間の宿命論

神聖皇兄ナスリム

『風の谷のナウシカ』の原作には好きなキャラクターが多数登場するけど、その中で群を抜いて好きなのは土鬼諸侯国連合の神聖皇兄ナスリムだ。

彼は国土のほとんどが腐海に飲まれた土鬼の地で、皇弟から実権を奪って僧会を滅ぼし、クシャナと結婚してトルメキアに侵攻を計画する。彼はそれを「たそがれの王国」と呼んでいた。

「ヒドラだけでは心もとない」という言葉があるんだけど、そこに彼の孤独なニヒリストとしての心境が投影できて深く共感できるものがあった。

彼が本当にほしかったのは、もしかしてトルメキアではなくて実はクシャナだったのかもしれない。

(『風の谷のナウシカ』)

ナスリムの世界と政権交代

ナスリムが実権を握ってから、国土が腐海に飲まれてもなお生き残った僧会への弾圧を続けるのだけど、その辺のシーンが民主党の政権交代のシーンと重なって好きだ。

私は民主党を支持していたし、2000年頃に森総理の「神の国発言」で衆議院が解散した時は選挙運動を手伝って夕暮れ時の多摩ニュータウンを街宣車で進んだことがあった。団地も夕暮れを反映してオレンジ色なのだけど、その団地を候補者の名前を連呼しながら進む街宣車には悲壮感があった。

当時の民主党はまだ勢力は大きくなかったけれど国民の漠然とした期待を集めることに少しずつ成功してきていた。諸悪の根源の自民党を倒して政権交代をすれば日本は良くなると主張していた。

でも、自民党を倒して民主党が政権を取っても、この夕暮れ時の多摩ニュータウンの団地で生活している人達が救われるような社会は来るんだろうか?そんな疑問を抱きながら街宣車に乗っていたことを思い出した。

街宣車を止めて候補が演説を始めると、団地の窓が開いて、女性とその子供が手を振ってくれることもあった。「お手を振ってのご声援、誠にありがとうございます!○○○○○、全力でもって政権交代を成し遂げるために頑張ります!」と候補やウグイス嬢が叫ぶのだけど、何となく私はその期待の光景を見ているのが重かった。

投票日の夜、事務所に支持者が続々と集まってきてNHKを見ていた。「自民・現 当選確実です」と出るたびに事務所からは「うーん…」という呻き声が出ていたのだけど、そんな中で応援していた民主党の候補の当選確実の速報が出た。

私は万歳と祝賀ムードに沸く選挙事務所で「めでたいね〜!」と涙ながらに喜び合うおばちゃんやおじちゃんの姿を見ながら、運動員仲間や県議とかから「齊藤さん、良かったですね!お疲れ様でした!」と言われたときに、「『勝って兜の緒を締めよ』ですね」と答えたのを憶えている。

今の民主党はまだ弱いし、政権担当能力も低い。このままこれからも選挙で勝ち続けても、それは政権与党が入れ替わるだけで、あの団地に住まう人々の暮らしが救われる日は来ないんじゃないか。そんなことを祝賀ムードの中で空気を読まずに発言してしまう若造だった。

クシャナの裏切り

ナスリムはあっけなく妻とする予定だったクシャナに裏切られ反乱を起こされて艦を制圧されてしまう。でも体はヒドラに改造してあるから死ぬことはできない。

ナスリムは肉体と精神の痛みに耐え、妻にも裏切られながらも、それでもなお生き続けているのだ。そんな孤独なナスリムの姿に何か込み上げてくるものがあった。

やっぱり彼は孤独が嫌だったんじゃないかな。不老不死の肉体に改造したのも権力欲だけではなかったように思う。彼はこういう展開になることも想定しながら、クシャナを受け入れていたように見えた。

ナスリムの孤独な最後

最後はナウシカが巨神兵を復活させる光景を見て、首だけになっているのをクシャナに放り投げられる。

巨神兵の火を手にした、青き衣をまといた救世主。その矛盾を彼は見抜いていた。青き清浄の地に導かれる日は永遠に来ないと思ったんだろうな(今の人間が青き清浄の地に行くと血反吐を吐いて死ぬことは知らなかったとしても)。

そんな孤独な最後を迎えたナスリムが好きだ。

人間の宿命論

ナスリムは人間を救おうとヒドラを連れて出ていった初代神聖皇帝の末裔だ。

そこには人間の理想も限界も幻滅も孤独も凝縮されている。私はナスリムを単なる悪役として憎むことはできない。

彼もまた悲劇の人であったという認識であり、人間の理想のなれの果ての宿命論を背負っている人のように思えた。少なくとも暗愚な権力者ではない。

ナスリムへの愛と、傷心の時はナウシカを読むと良いよという話でした。