サッカーで苛められていた。日本代表には早く負けてほしい

たまにオフ会おじさんじゃない話題を書こうかな。ワールドカップが盛り上がったり、盛り下がったりしているけど、私は全然サッカーに関心がない。むしろサッカーは嫌いだ。

小学生の頃、私は運動神経がなかった。だから、体育の授業でサッカー・バスケ・野球・テニスなどチームプレイで私と一緒の組になると、みんなから嫌な顔をされた。「えー、齊藤と一緒なの!?」という声は平然とあがったし、試合をするにあたって、「お前は何もしなくていいからな!絶対何もするなよ!」と念を押された。

 6月19日、サッカーW杯1次リーグC組の日本はギリシャと0─0で引き分けた。写真は決定機を逃して顔を覆う日本の大久保嘉人(2014年 ロイター/Kai Pfaffenbach)

そんな私も私なりにチームに貢献したくて、サッカーボールが来たら追いかけることがあった。たまに何かのミスで私の前にサッカーボールが転がり込むことがあった。そんな時、チームのメンバーから大声が上がった。「齊藤、蹴るな!蹴っちゃ駄目だ!」

でも私はチームの役に立ちたくてボールを蹴った。そうしたら、ボールは空振りか明後日の方向に飛んでいき、相手チームにボールを取られた。私は何の役にも立たないばかりか、むしろ相手のチームの有利になるようにボールを回してしまったのだ。

試合に負けたら、「お前のせいで負けた」「もう二度と齊藤とは同じチームになりたくない」って露骨に言われた。中学校でも高校でもサッカーをやる時はいつもそうだった。だから、私はサッカーが嫌いになった。

ワールドカップでサッカーを見るのが好きな人達ってどんな人達なんだろう?子供の頃にサッカーでそういう思い出のない人達?それとも子供の頃にサッカーで苛められても、それと大人になって見るサッカーを別物として楽しめる人達なんだろうか。

私にとってサッカーは嫌いなままだ。だからサッカーで盛り上がる日本の社会にも厭世的な感じが否めない。いっそのこと日本代表がすぐに負けてくれたら、サッカーの話題なんて聞くことがなくなるから良いのに、というのが本音だったりする(人前では言わないけれど)。

日本の体育教育も間違っていると思う。みんなでサッカーを楽しむことを主眼にするべきなのに、あらかじめ運動神経に有利な子達が活躍するようになっているから、運動神経がない子達は隅に追いやられて、霞を食って生きていくしかない。自分みたいなスポーツに対する屈折した感情を30代を過ぎても持ち続ける温床になるから、スポーツ教育は根本から変えた方が良いと思う。