ロマンチックラブイデオロギーの終焉

以前、私のメインブログでロマンチックラブイデオロギーという記事を書いた。

以下、記事より。

このような状況が一変して、恋愛と結婚を結びつけた「恋愛結婚」の発想が広く普及していくのは、17世紀から18世紀にかけて西洋でロマンチックラブの隆盛が起きてからでした。産業革命で飛躍的に発展しつつあった西洋では、社会構造が急激に変化し、一部の商工業者が富裕市民(ブルジョワジー)として台頭します。富裕市民の出自は必ずしも高い身分であったわけではありませんが、やがて旧来の支配階級であった貴族をおびやかすまでになります。まず、この富裕市民の中で恋愛観に変化が生じます。

富裕市民は、貴族と同様に豊かな暮らしを送り、余暇時間も増大しましたが、貴族のように政略結婚や家の格式に拘束されることはありませんでした。豊かな暮らしと余暇時間の拡大が、女性を生産労働から切り離し、主婦の誕生をもたらしました。主婦は、庶民階級のように共同体全体で生活役割を共有するのではなく、貴族階級のように使用人なども含めて間接的に生活役割を共有するのでもなく、家事や育児などの生活役割を家庭内で一手に引き受けて、完結させる役割を負うことになりました。今日的な意味での「家族愛」や「母性愛」が唱えられるようになってきたのは、実はこの「主婦の誕生」が生じた時代と重なります。

さらに、女性が生産労働から切り離されていったことにより、家族は(今までの庶民階級のような)生産単位としての傾向は薄れ、性的結合体としての傾向を濃くしていきました。また、富裕市民は当時はまだごく少数であったため、男女交際はそのまま結婚へと結びつきやすい傾向にあったようです。これらの要因が合わさって、富裕市民の中で「恋愛による結婚こそが自然な姿だ」「庶民階級や貴族階級のような性的自由は不道徳だ」「結婚後も家族には愛情がなければ ならない」というロマンチックラブ・イデオロギーが勃興してきました。

この記事の中で、恋愛結婚とは近代以降に普及した現象であること、それは産業化によって家族が労働力の再生産を行うユニットとして再定義されたことと深い関係があること、日本での伝統的な結婚は夜這いを通じて行われていたこと、江戸時代後期の貨幣経済の浸透に伴う農村内の経済格差で見合い結婚が普及したことなどを指摘した。

現在、日本でも欧米でもこの恋愛結婚やそれを支えるロマンチックラブイデオロギーが危機に瀕している。ロマンチックラブイデオロギーを支えていた近代化に伴う諸条件が失われて、イデオロギーが神話に過ぎなかったことが暴露されつつある。

ここでロマンチックラブイデオロギーを再興すべきという考え方も出来るが、私は近代固有のロマンチックラブイデオロギーに固執する必要は無く、新しい結婚観を打ち立てるべきだと思う。ロマンチックラブイデオロギーを支える前提条件が崩れたのに、ロマンチックラブイデオロギーを強引に信じていようとする考え方に無理があるのだ。ロマンチックラブイデオロギーの枠組みに捉えられて、その枠組みから逃れられず、多くの人が発狂状態で苦しんでいる。

歴史的に見れば、ロマンチックラブイデオロギーが主流になったのは文明の歴史から見てもごく僅かな期間だ。それまでは恋愛によらない自由で奔放な性愛が普通だった。私達は近代以降になってこの性習俗を「不潔なもの」「下劣なもの」とみるようになったにすぎない。家族愛の称揚に関しても同様である。

人間の本来に根ざせば、恋愛結婚のような固定的な性関係に関係なく性愛は湧き起こってくることがあるし、その本来の姿を認めるところからスタートしてはどうだろう。そうすれば、いまイケメンや高学歴だけがサラブレッドとして人気とされる結婚市場にも変化が生じて、そこで競争過程で脱落するような人にも異性と性関係を持てるチャンスが生まれる。そこで産まれた子供達を近代由来の「家族愛」だけではなくて(家族愛は既にかなり崩壊しているので)、社会的に育てていくことが出来れば、人口減少や非モテの問題も今より大分解消するだろう。

イケメン・美女・高学歴などがもてはやされるのは、ロマンチックラブイデオロギーが病巣なのだ。

そろそろこの古いイデオロギーを完全に捨て去ろう。