貨幣価値やハイパーインフレを巡る議論(2002年)

1  名前:さいとう:2002/07/08  1:38

以下の設問の中から好きなものを選び、字数無制限で論述してください。

設問1.あるところに選挙へ行くのが大嫌いなA君がいました。彼は選挙について「俺が選挙に行ったって所詮は30万分の1票でしかないだろう?そんなのは統計的にも無効と同じさ。選挙なんて、つまるところ政治に民主的な正統性を与えるための大衆用のショーにすぎないのさ」と考えています。もし、このA君に合理的に反論するにはいかなる解答が考えられるでしょうか?

設問2.金(キン)との兌換が行われなくなった現代において、実体としてはただの紙切れにすぎない1万円札の価値は、どのようにして生まれているのでしょうか? ちなみに法律では次のように書かれていますが、これだけでは法貨が定まっただけであって価値は生まれません。

日本銀行法
第46条
1 日本銀行は、銀行券を発行する。
2 前項の規定により日本銀行が発行する銀行券(以下「日本銀行券」という。)は、法貨として無制限に通用する。

2  名前:直江兼緑:2002/07/08  14:52

こういうのにはすぐ飛びついたりして。

設問1と2は、全く異なる対象のようでいて、実は似た構造を持った問題だと思いました。すなわち多人数参加のゲームだということです。この場合、ゲームの利得は選挙で自分の利益を実現してくれる候補が当選することなり、貨幣が機能することで自身が享受する利益なりです。厳密には、(たぶん)n人参加のゲームとして合理的選択に基づくゲーム理論を駆使すると、いくつかの均衡状態があることを証明できます。

たとえば貨幣の場合には、貨幣がほとんどすべての人によって信用されている状態と、ほとんどまったく信用されていない状態が均衡状態として考えられます。とかいって、推測で書いてるので本当は違うかも。貨幣の問題はとても難しくて、今の経済学の理論でもうまく取り扱えてないらしいです。岩井克人なんかがやってますね。現代思想とのかかわりもあるようです。どこかで読んだのですが、そもそも利子という概念がなぜ社会的に認められるようになったのか、というのはそれほど自明なことではなくて、実はキリスト教の三位一体と関係があるんだとか、イスラムでは認められなかったとか、ようするに人々のイデオロギー状態に依存しているんだそうですが…あまり僕もよくわかっていません。このあたりが資本主義の成立の謎に関係しているそうです。マルクスも、なぜ人々が異なる商品をただひとつの商品(金)を媒介にして交換するのか、という問題に非常にひきつけられたらしく、資本論でねちねちやっています。人間の選択は必ずしも合理的ではないので、このあたりはゲーム理論だけでは解き明かせない問題もあるのかもしれません。

もう少し簡単なモデルで考えると以下のようになると思います。すなわち、x軸に「現在貨幣を信用している人の数」をとり、y軸に「x人が貨幣を信用している状況のもとで、貨幣を信用しようと思う人の数」をとります。たいていは、貨幣を信用する人が全くいない状況でも例外的に通用するコミュニティが存在し、このグラフはx=0でもy/\>/0となります。xが増加してもある程度以上にならない限りリスクが高いので、yは低い状態で推移します。ところが、ある程度以上信用する人が増えると、貨幣に対する信用は高まり、yの値は急激に増加します。このy(x)がy=xと交わる点のうち、dy/dx>1となる点(そうでないと不安定)が安定な均衡点となり、均衡点はyの値が低い状態と高い状態の複数になるわけです。これはy(x)のプロファイルがどうなっているかによりますが。多くの人が利用するならば、それは他の商品と交換できる価値を持つわけです。

選挙の場合、投票するインセンティブが、政治状況の文脈に依存しているのでもっと複雑になりますが、自分以外の他者がどう行動するかによって自分の利得が変わるという点では同じわけです。えー、ここまで書いて気づきましたが、設問1の問題は、現象の定式化ではなく、A君への合理的な反論でしたね(笑)。

これについては、様々なレベルの問題が含まれていると思います。

まず、「統計的に無効であるから行かない」という構造をもう少し噛み砕いてみましょう。選択Aと選択Bがあり、どちらを選んでも(仮に)結果が同じなら、どちらを選んでもいいはずなのに、A君は「行かない」という選択を必ずします。そこには理由があるはずですが、設問では明確にされていません。要は、純粋に論理学的に考えた場合、「統計的に無効」というだけでは、ある選択を必ず行う理由としては不十分だということです。ある選択を必ず行うならば、他に理由がなくてはなりません。A君は「投票に行くのは○○だし、加えて統計的に無効だから」と述べなければならなかったのです。ここでは、設問を踏み越えて2つの一般的な理由を考察します。

1、投票に行く手間(あるいは、他のことがしたい)

まあ、大概は投票に行くのが面倒だというのが理由の一つだと思います。行って結果が変わるならまだしも、行っても手間がかかるだけで変わらないなら損じゃないかと。この場合、ただ単にA君はふつう投票にそれほど時間がかからない(住む地域にもよりますが)ことを知らないだけかもしれません。もしそうならば、それを教えてあげればいいでしょう。あるいはまた、A君は投票するのに必要な情報を集めたり考えたりする過程も含めて手間がかかると感じているのかもしれません。あるいは、「投票そのものに手間がかかるから」というよりも、「その時間をつかって他のことをするほうが自分にとって大きな魅力がある」、「仕事で忙殺されている」という理由も大いにありうることです。

2、誰に投票したらいいかわからない

あるいはA君は、懸命に情報を集めたものの、積極的に投票したいと思う人がいなかったのかもしれません。もし積極的に投票したい人がいるのであれば、結果がどうだろうが、少しの手間がかかろうが、投票に行く気力を促進するものです。あるいは少ない情報では判断がつかなかったのかもしれません。「よくわかっていない自分が投票するよりは、他の人にまかせたほうがいい」と考えたのかもしれません。A君が「統計的に無効だから行かない」と述べる背景には、こういう事情もあるのかもしれません。

実際には、理由が複数組み合わさって「投票に行かない」という行動が決定されていると思われます。すなわち、「投票に行くのは手間がかかるし、他にすることがあるし、投票したい人もいないし、自分の判断にも自信がないし、それに投票しても結局かわらないじゃん!」というわけです。これは行動の動機としては十分に理解できるものです。しかし、A君は自分の行動の理由についての説明が不十分であるか、本人も深く自覚していないかのどちらかなのです。

以上の二つの理由のほかに、「投票に行かない」決定を構成するもう一つ重要な理由がA君にはあります。それは民主主義に対する考え方です。民主主義は国民の不断の努力によってしか維持することはできません。例え自分の投票が30万分の1票であろうと、些細な理由で投票しない人が増えれば、民主主義を危機に至らしめます。投票率がある一定の比率よりも少なくなることは社会的に問題とされてしかるべきだと思います。「何度か投票しないことがある」くらいならともかく、「絶対に投票に行かない」というA君の論理は、「一人くらいゴミを捨てたって統計的には無効だから」といって、ゴミを出し続けるのと同じです。

このような視点は、民主主義について少しでも学んだ人ならば常識に属すると思いますが、A君はそのような認識を持っていないか、持っていても「手間がかかる」といった些細な理由の方が彼にとって大きいのです。これは彼を倫理的に非難する合理的な理由になると思います。

ここで、彼の後半の理由、「選挙なんて、つまるところ政治に民主的な正当性を与えるための大衆用のショーにすぎないのさ」ということを考えて見ましょう。これも少しきちんとした表現におきかえる必要性を感じます。つまりA君は、「民主主義という制度は、一見人々の意見を代表させる制度のように思わせておきながら、実際は人々の意見は統計的に無効となる」、すなわち「本当は利益を得られないのに利益を得たように思い込ませるショーである」と考えていると受け取りました。

これは現実を単純化しすぎた認識です。国民の選択肢を法的に狭めたり世論誘導を行う可能性を論じるならともかく、一人一人の統計的無効性をもって民主主義をショーと見るのは無理があります。結果は選挙の前から決まっているわけではなく、多数意見によって決まり、(多数意見の持ち主にとっては)やはり利益を得られるからです。すべてにおいて自分が少数意見である人にとっては酷な制度であることは認めますが(マイノリティの権利は民主主義でもなかなか認められません)。

6  名前:さいとう:2002/07/10  0:20

貨幣論について

直江さんのモデルで考えると、均衡点はYが0にはならなくも低く推移している中で、Xが漸次的に接近していって均衡した状態と(仮にこれを均衡点Aとします)、Xが一定数に達したためにYが急激に上昇して均衡した状態(均衡点B)の二つの均衡点が考えられると思います。僕はまだ経済学も数学も門外漢のため、認識に間違いがあったら指摘してください。それで、均衡点Aにおいては、貨幣を信用する人も流通させようとする人も非常に少ないため、市場取引における貨幣の持つ価値は相対的に低く(少なくとも取引で貨幣が貴重に扱われることはないでしょう)、ハイパーインフレの傾向をはらんでいると思います。貨幣が貨幣としての価値、すなわち一万円札が一万円札として健全に取引の交換価値として使用されるには、均衡点Bに到達する必要がありますよね。問題は、均衡点Aではなく均衡点Bになったことが、どのような条件下において達成されたのか、ということになるだろうなと思います。

この均衡点の問題は、直江さんもご指摘のように経済学の中でも難問の一つとなっているようですね。僕も経済を考えるとっかかりの一つとして、「身近な貨幣から考えてみよう」と思って入ってみたのですが、底なし沼でした(笑)。貨幣を理論的に根拠づけることが困難であること、貨幣についての均衡解が発見しにくいことは、最近読んだ伊藤誠『貨幣・金融の政治経済学』(岩波書店)という本でも次のように書かれてありました。

ハーン(1982,P.1)は、貨幣とインフレーションについてのその著名な三つの講演の最初のもので次のように主張していた。

貨幣の存在が理論家に提示するもっとも深刻な挑戦課題は、もっともよく発達した経済モデルには貨幣を入れる余地が見いだせない、ということである。いうまでもなく、もっともよく発達した経済モデルとはアロー=ドゥブリュー版のワルラス的一般均衡論である。すべての考えうる情況依存的先物契約が可能な世界では、本質的には役に立たない貨幣は必要とされず、求められもしない。

ハーンはさらに、貨幣経済の理論モデル形成への最小限の必要条件は交換取引が各日付ごとにおこなわれることであると主張した。それは、すべての取引が期間中一時点で完結するようなワルラス的経済モデルではなく、「継起的」経済のモデルでなければならない。ついで、そのことはまた価格への期待がどのように形成されるかについての理論を有する必要があることを意味している。そのような理論モデルならば、貨幣は、現在と将来とをつなぐ機能をはたす価値の貯蔵庫としての位置を見いだしうる。とはいえ、ハーンがまた指摘しているように、これらの諸条件においてだけでさえ、唯一の均衡解は保証されなくなる。理論家はさらに、貨幣を不確実性への予備、価値の貯蔵と見なし、不確実性への余地を認めるかもしれないが、そうなると一般の均衡解はなおさら保証されえない。貨幣が他の財に比してなんらかの特別な属性を有することが理論的に確定されないかぎり、一般均衡論には貨幣にしっかりした位置づけは見いだせないのである。

『資本論』第一巻「資本の生産過程」第一編「商品と貨幣」も読んでみたのですが、根元的に考えるならば、マルクスが『資本論』の中で説いたような一般的価値形態から貨幣形態へと発展する現代的な意義が見いだせないというか…。これだけ物流が活発化して、さらにEマネーのような形で貨幣が記号化した状況を考えると、貨幣の流通圏も貨幣使用者も均衡点Aへと近づいていく内発的可能性を持っているのではないかと思います。貨幣が金という商品としても流通可能な一般価値との兌換を停止してもなお、価値を算出し続けているのは慣習以外の何者でもないような…

岩井克人の『貨幣論』も読んだのですが、彼の言うように、貨幣は明日も誰かが貨幣としてそれを取り扱ってくれるという約束事をみんなが信じることによって、商品世界において循環する交換関係を持ち、貨幣それ自体は市場を持たない(貨幣の価値は全商品との対比の中で決定される)という趣旨の指摘を行っていますよね。

ここには、岩井も指摘するように、貨幣流通者も貨幣使用者も含めた、貨幣経済圏全般の脆弱性が存在すると思います。つまり貨幣そのものが何らかの契機で価値や信用を喪失した場合に、貨幣を一般価値とする資本主義社会において交換関係が突如としてストップしてしまうことになるという脆弱性です。このような脆弱性を考えるならば、貨幣を貨幣として流通させることが、貨幣流通者にとっても貨幣使用者にとっても効用の大きい解となるか疑問です(うーん、パレート最適と捉えるべきなのかな)。貯蔵とか計算とかという意味での貨幣の機能は、先ほどのEマネーのように、マルクスが貨幣の本質を描き出した時代とはだいぶ「固有性」(代替不可能性)が変わってきているし。

ゲーム理論の世界でも最近は「文化」を重視する必要性が主張されているようですが(日本国際政治学会『国際政治理論の再検討』所収「コンストラクティヴィズムの存在論」より)、そういうものが定式化されないかぎりは、現行のゲーム理論モデルでは均衡解Bを継続して支えうる要因を見いだしにくいんじゃないかと考えています。うーん、これは僕のゲーム理論に対する理解不足なのかもしれません 何か変なところがあったら何でも突っ込んでください。ちなみに上記の「貨幣そのものの価値が何らかの契機で…」云々の部分は、岩井氏のいうハイパーインフレを想定していると思ってください。

この問題を解くにあたっては、均衡、文化や慣習と同様に、「不確実性」もキーワードになってくると思っているのですが、これに対してハーンがどのような批判的見地に立っているのか何とか調べられないものかと考えています。

もうすぐ4時なので寝なきゃなのですが、選挙について少し。選挙に投票するかどうかのモデルについては、ゲーム理論として考える場合にもそうでない場合にも、以下のモデルで基本を整理することが役に立つと思います。

有権者が投票することによって得る利益をR、自分の投票参加が投票結果にもたらす影響についての主観的確率をP、政党間の期待効用差をB、投票コストをC、投票の長期的利益をDとすると、

R=PB−C+Dとなる(Riker,Ordeshook)

それから、A君が投票しないことに関する民主主義体制下の倫理的問題を非難する例出としては、他者への物理的損失を伴う「ゴミの出し続け」というのはふさわしくないのではないかと思います。制度への支持と長期利益に関わる、さらに現状での自己負担を伴うという点では、「国民年金を支払わないこと」への倫理的非難と合致する部分があるのではないかと思います。「ゴミを出し続けること」と「国民年金を支払わないこと」では倫理的非難の位相も変わってきますよね?

13  名前:直江兼緑:2002/07/10  19:32

じゅぱんさんは、貨幣について均衡点Bより均衡点Aの方が達成されやすいと考えたのでしょうか?先ほど僕が投稿した簡単なモデルで考えると、均衡点Bは一度達成されたら、それを維持しようとする強力な力が働きます。例え、xが何らかの理由でx0に減少したとしても、y(x0)/\>/x0であるならば、次の瞬間x1=y(x0)、y=y(x1)、x2=y(x1)・・・のようにしてxもyも均衡点Bに近づいていくからです。この説明ではまだ不満なのでしょうか?

もちろん、y(x0)>x0となったら、逆に均衡点Aに近づくことになります。これがハイパーインフレに相当します。ただ、こういう状態というのは不便だということがみんなわかっていますから、普通はいずれ政府がなんとか信用を回復する政策をとるわけです。それが成功するという期待があれば、均衡点Aは短期的には実現されたとしても、それほど安定ではないと思います。もし政府が本当に無策で、長期にわたって混乱状態を回復できないということになれば、本来の価値を持つ金なり米なり牛なりが、新たな貨幣として再び現れることになりますが。

厳密に理論的に組み立てるのは、経済学の最先端の話になるので僕にはとてもついていけませんが、僕自身は以上のような考えで大体納得がいくんです。

次に、投票の問題ですが、ゴミの例も、「ゴミを捨てる人が少なければ、ゴミ処理が追いつくので問題にならないけれど、多くなりすぎると公共の利益を損なう」という意味で同じだと思ったんですね(笑)。まあ例出についてはどうでもいい話でありますが、国民年金の例もあまりしっくりはこないんです。民主主義の正当性は僕の中で前提にできますが、国民年金の現行の制度の正当性は「?」と感じる部分がありますので。

18  名前:さいとう:2002/07/26  2:16

/\>//\>/13
>均衡点Bは一度達成されたら、それを維持しようとする強力な力が働きます。

ここでいう「強力な力」とは何を指すのでしょうか?均衡点Bは恒常的に不安定な揺らぎを見せてきたように思います。例えば1970年代初頭から先進国は深刻なインフレに直面してきました。先進7カ国のGDPデフレーター年上昇率は、1960-68年平均の3.1%から、1968-73年平均で6.0%となり、第一次オイルショックの1973年は7.3%、74年は11.6%、75年は10.3%もの高水準で推移しています。ある程度のインフレの存在は資本主義にとって不可避的で、むしろ資本主義はインフレを何度も経験することによって発展してきたわけですが、この時期におけるインフレは歯止めが効かずに先進国の経済成長に大打撃を与えました。それまで年平均5%前後で推移してきた先進国の実質経済成長率は、1%や2%などに低落しています。

同様に、為替相場や金融市場・国際投機の側面においても貨幣は不安定要因としての側面を示し、アジア諸国においては90年代に通貨・金融危機が発生していますし、日本のデフレスパイラルについても度重なる政策的介入にも関わらず危機の除去に至っていません。南米のインフレは相変わらず最悪な状態ですし、今回の日米同時株安や、日本の不良債権問題による国際的な金融危機や通貨危機が発生する可能性は依然として存在します。

ハイパーインフレとはいかないまでも、貨幣の価値は絶えず社会の不安定要因として作用しています。これまで資本主義が根底から崩壊するくらい深刻な貨幣価値の危機にまで到達しなかったのは、各国政府のそれこそ「針の穴をラクダが通るような」あるいは「綱渡りのような」必死の金融政策に依るところが大きいと思います。しかしそういう政策介入が存在しても、恒常的な不安定性は大きいし、統御不能な危機の発生可能性は絶えず取りざたされていますよね。

もう一つ、貨幣の安定化を何とかつなぎとめておく作用として「国際通貨制度の介入」も挙げられるかもしれません。岩井も指摘しているように、ドイツのハイパーインフレが限定的なものに留まったのは、当時の世界貨幣(基軸通貨)であったドルが安定を取り戻してきていたこと、新たに設立されたレンテン銀行が4.2マルク=1ドルという交換比率の固定化に成功した、というところが大きかったと言われています。しかし、同時に岩井が指摘しているように、資本主義社会は最大の危機である基軸通貨へのハイパーインフレというのは1度も発生してきませんでした。したがって基軸通貨のハイパーインフレという資本主義最大の脅威に対してどれくらい資本主義体制が対応策が取れるかは、現段階では未知数であるように思います。

こうして考えると、1万円札にのみ1万円分の交換価値を置いておくのはある意味でハイリスクであると思います。慣習と交換上の利便性によって、貨幣を利用しようとする人々が依然として多く、それが均衡点Bを支えていることは僕も認知していますが、それは決して強固なものではなく、今後も貨幣に交換価値としての役割を独占的に与え続けるには、トービン税などの部分的導入も不可欠になってくるのではないかなと考えています。

19 名前:直江兼緑:2002/07/28 19:56

資本主義経済の不安定性一般と、貨幣の信用の不安定性をきちんとわけたほうがいいと思います。僕が読んだ経済学のテキストが間違っていなければ、70年代に問題になったスタグフレーションは、貨幣の信用の問題というよりも、物価の上昇→労組による賃上げ要求→物価の上昇というサイクルが問題とされていると思います。また、高度成長後の先進国の低成長化については、イノベーションや労働意欲との関連で論じられることが多いと思います。国際的な投機活動についても、投資そのものの不安定性と、破壊的な投資活動によって通貨制度が不安定化するプロセスとを区別したほうがいいような気がしますし、日本のデフレスパイラルも貨幣の問題というよりは「消費の低迷→売り上げ減→賃金減→消費の低迷」というプロセスです。

確かに、基軸通貨の強さとかが、貨幣の安定性にとって重要なんだと思いますし、共同体が崩壊して資本主義化が進む際には、中央政府がよっぽど計画的に進めないと金融危機を含む破壊的な問題が生じやすいのだろうと想像します。すなわち、貨幣がうまく機能するには将来も価値が継続するという期待が多くの人が持てるような状況が必要だということだと思います。ただ、価値に対する安定した見通しが続く限りは、貨幣は安定して利用される力を持っている。そこに政府の役割が発生する、という感じで大体いいような気がするんですけどね(笑)。

トービン税、適用されればすばらしいのでしょうが、これもきっと囚人のジレンマなのでしょうね。貨幣に関しては、他に地域通貨なんかも最近流行してますよね。

関連記事

この記事をシェアする