科学とは何だろう?

科学とは何か

科学というと、何だかとても難しい言葉を使って、難しいことをやっているようなイメージがありますね。でも、科学とは本来そんなに難しいものではありません。小学校や中学校の理科の授業を思い出してみてください。小学校や中学校の理科の授業では、様々な「実験」をした記憶があると思います。ヘチマを育てたり、リトマス紙に酢をつけてみたり、豆電球と電池の配列を変えてみたり…。そういう実験をするとき、皆さんはどんな目的を持っていたでしょうか?

先生は実験前に皆さんに何かプリントを配って、「実験をしたらこういう結果になる」ということを説明したり、「実験によってどういう結果になると思うか、自分の考えを書きなさい」などのような指示を出したりしたと思います。そして、本当にその結果が得られるかどうかを検証するために、実験が行われたと思います。

それが科学です。科学とは、仮説を立てて、その仮説が本当に正しいのかどうかを様々なデータや論理を使って検証する行為です。このことは、自然現象の解明を目指す自然科学でも、社会現象の解明を目指す社会科学でも、変わりはありません。

科学に必要な反証可能性

ただ、それだけではまだ充分とは言えません。科学には、「反証可能性」というものが必要です。たとえば、「明日世界は滅亡します。私の神様が、枕元でそのように告げてくださったからです」と主張する人がいたとします。この人の言っていることは科学的でしょうか? これは科学的とは言えません。なぜなら、神様が枕元で告げたとするデータや論理は、その人以外の誰も本当かどうか再検証することができないし、そのため、論理的に反論することができないからです。誰もが検証できるようなデータや論理ならば、「そのデータは古いから、最新のこちらのデータの方が正確だよ」とか「その論理ではこういう状況を説明できない」などの反論を行うことができます。このように科学は、反証可能性を認めつつ相互に欠点を補い合いながら発展してきました。

科学と常識の関係

一昔前まで世界の多くの人々は、宇宙は地球を中心に回っていると考えていました。しかし、17世紀、ガリレオ・ガリレイは自作の天体望遠鏡で木星を観測し、木星を取り巻く4つの衛星が地球ではなく木星を中心に回転しているという事実を発見しました。このことから彼は、地球もまた衛星と同じように太陽の周りを回転しているのではないかと考えました。このガリレオの考えは、当時の社会の常識を根底から覆すもので、当時の人々に大変な衝撃を与えました。このため、彼は宗教裁判にかけられてしまいます。

このように科学は、事実をありのままに見ていくことを目指すために、世間の常識と対立することがあります。常識とは、ある場所、ある期間、ある時代に、多くの人々が「真実として検証されている」と信じている知識のことです。したがって、常識は必ずしもウソではありません。しかし、その検証の仕方が間違っていたかもしれないし、あるいは、その時には正しかったものが時が経つにつれて前提条件が変わってしまっているかもしれません(社会現象にはそういうことがよく起きます)。科学は、常識に対して「本当にそうだろうか」と疑うところから始まると言えます。

ガリレオの時代から400年が過ぎた現代、世界の多くの人々は、地球が太陽の周りを回転する惑星の1つであることを知っています。そして1989年、人類は1つの探査機を宇宙へと打ち上げました。その探査機の名は「ガリレオ」。「ガリレオ」は1995年に木星の周回軌道に到達し、木星の鮮明な画像データを地球に送信してきました。かつてガリレオが天体望遠鏡で観測した地球の遙かかなた、木星へと、「人類の眼」が届いたのです。これも反証可能性によって発展した「科学の力」です。

科学は全ての疑問には答えられない

皆さんは、フライパンで魚を煮ることができますか? 魚を煮るには鍋が必要で、フライパンで魚を煮るなんてうまくいかないよ、と思うでしょう。しかし、だからといって「フライパンは役立たず」だと思うでしょうか? フライパンは確かに魚を煮るには適しませんが、魚を焼いたり、野菜を炒めたりするのには大きな力を発揮します。つまり、すべてに万能とは言えないが、その能力に適った使い方をするならば所定の効果を発揮できるわけです。

科学もこれと同じです。科学を批判する意見の中に、「科学はすべての疑問に答えられない」とするものがあります。確かにそのとおりです。科学はすべての疑問(特に私達の心の問題)に答えられるものではありません。しかし、だからといって「科学は役立たず」と言ってしまうのは正しくないでしょう。科学もまた1つの手段であり、目的を持って活用するならば有効な効果をあげることもできます。

科学は研究室の話だけではない

そして、私達は「知ること」に喜びを感じる素敵な生き物でもあります。「科学者」を意味する”scientist”という単語は、1840年頃にヒューエルという人が使い始めたのが起源と言われ、実はまだ起源の浅い言葉です。では、それまでの科学者は何と呼ばれていたかというと、それぞれに興味のある分野を探求した「哲学者」と呼ばれていました。この考え方の名残は、現在でも「博士」を意味する”Ph.D.”の表記にも残っています。”Ph.D”の”Ph”は、”Philosophy”の略、つまり「哲学」の略です。科学者はごく限られた人しかなれませんが、知る喜びを忘れていないならば、人は誰もが哲学者(元々の意味の科学者)になれます。科学は決して遠い研究室のお話だけではありません。

この記事をシェアする

4 件のコメント

  • フライパン解かりやすい。未検証を実証して世の中に有益たらしめるようにするのが科学だと思うけど、時間がかかるので、その点が難でもある・・・。

  • フライパンで普通に魚煮られるし、大きいまるごとだったらむしろフライパンのほうが良い。フライパンこそ万能です。それ以外は良いことがわかりやすく書いてあると思います。

  • 科学と常識の話、面白かったです。そういえば法律にも「社会通念上」という常識と同じような意味がありました。

  • ああ、せっかくいい話なのにフライパンでも魚は煮ることができるよなって思ったらそのことで頭が満たされてしまった(^_^;)