堀栄三と原爆投下

日本軍は連合軍の暗号を解読できなくなっていたけど、陸軍中央特種情報部は1945年7月16日にニューメキシコ州で新たな実験が行われた情報を把握していた。大本営はマリアナ沖のB-29の中で、ワシントンへ直接打電する編隊があることに気付き、これを「特殊任務機」と呼んで警戒していた(大本営の堀栄三ら)。8月6日に特殊任務機が発進した時、大本営も陸軍中央特種情報部にも「特殊任務機前進中」の報告が入っていた。8月6日はそういう緊迫化の中で起きた。

 昭和19年末,田無にある陸軍中央特殊情報部(特情部)ではサイパン,グアム,テニアンに展開するB-29の編成・機数の情報をコールサインの規則性から推測することに成功していた.
それによるとサイパン駐留の機体には400番台,同グアム500番台,同テニアン700番台の符号を使用し,一飛行戦隊が112機で編成されているところまで突き止めていた.

昭和20年5月,新たにホノルルからテニアンに600番台のコールサインが付せられたB-29が加わった.
この部隊は離陸する前にワシントンに直接打電するという極めて奇怪な行動をとった.
しかも不思議なことに,この戦隊の編成は10機~12機という極めて少数であることも判明した.
特情部ではこの謎の部隊機を「特殊任務機」と呼称し特に警戒して注視することになった.

8月6日午前3時,この「特殊任務機」がワシントンへ短い電波を送っりテニアンを離陸したのを特情部は探知した.
無論内容は判らない.部内は大緊張をはじめたが,それ以後,午前4時に硫黄島の航空基地に対して「われら目標に進行中」の無線電話を発信したのち無線封止したのか,電波は一切出さなくなってしまった.

大本営に原爆投下の知らせが届いたのは,その日の午後になってからだった.
特情部がスウェーデン経由で入手した暗号解読機で米軍暗号の解読に成功し,原文から「nuclear」の単語が現れたのは8月11日のことで,関係者は地団駄を踏んで悔しがった.(堀栄三著『大本営参謀の情報戦記』より要約)

日本軍は戦争中に福島県の石川町でウランの採掘も行なっている。

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