安全保障とは

安全保障とは何か

現在、地球上には190もの国家が存在します。国家とは、それぞれに政府を持ち、地球表面の特定部分と人類の特定部分集団について主権を主張する独立政治社会のことです。国家は意思決定と行動の自由を持った自己完結的な行動単位であり、その自己完結性は領土と国民に対する排他的な統治として表現されます。

国家によって統治される国内社会は、統一的な政府が軍事力を独占して存在するため、一般的には秩序が保たれています。しかし、軍事力を持った諸国家によって構成される国際社会は、国内社会と比較して共通の社会的・歴史的・文化的基盤が必ずしも充分に存在せず、秩序を構成する統一的な政府もないので、複数の勢力が軍事力を持って分散しているアナーキー(無政府的)な社会であると言えます。このため、強者の力を規制する社会的規範が脆弱で、国家間の対立はしばしば実力によって解決されることになります。国家は対内的には秩序をもたらしますが、対外的には不安定をもたらす要因となりうるのです(このことは「ホッブスのジレンマ」と呼ばれています)。

国際社会のこのような状況下では、国家はパワーの最大化を目指して行動すると考えられます。国際政治学におけるパワーとは、相手(パワーの客体)の価値を(物理的手段によって)剥奪するか、その威嚇を通じて、パワーを行使する側(パワーの主体)が期待する方向へ相手の行動をコントロールすることを指します。例えば、A国が石油資源が豊富な地域を武力制圧しようと考えていたとします。同じくこの油田地帯を狙っているB国は、A国に進出されては困るのでA国がどんなに頑張っても追いつかないくらい強力な軍備を持つことにしたとします。こうなると、元々A国は「油田地帯に進出することが望ましい」という価値を持っていたわけですが、「B国と武力衝突すると敗北は必至だから、諦めてB国に油田地帯を明け渡した方が望ましい」という価値へと修正される作用が生じます。このような状況で、B国はA国に対してパワーを行使していると考えられます。つまりパワーとは、「相手の反応の支配」なのです。

(なお、少し付け足すと、上記の例ではA国もB国に対してパワーを行使していると考えられます。なぜなら、B国は油田地帯へ進出するために、A国を上回る軍事力を所持することを求められたからです。このことは、単純に「油田地帯へ進出したい」というB国の価値に「軍事力を増強しなければならないが」という修正がかかったことを意味します。このように、現実の国際関係では複雑にパワーが交錯していると考えられます)

A.ウォルファーズは、以上の認識を踏まえて、安全保障を「獲得した価値に対する脅威の不在」と定義しています。ウォルファーズの安全保障の定義は、価値に危害が加えられるものとして国家間の軍事問題以外にも、実は経済問題や自然災害、環境問題なども組み入れられる非常に包括的な定義なのですが、基地を中心とした安全保障は一般に軍事問題を中心とすることが多いので、ここではその意味での「獲得された価値」や「脅威」と捉える必要があるでしょう。アナーキーな側面を持つ国際社会では、価値剥奪の可能性が国際社会の利害関係を調整する最後の手段として存在します。このため、国家は自らが築き上げてきた地位や領土、経済資源などを失う不安を常に持っています。国家はできるだけ既得価値を失わないように心掛け、既得価値が攻撃されることに恐怖を感じます(恐怖は心理的な作用ですが、特に国家の政策決定者に大きな影響を与えます)。

さらに、この点を詳細に検証していくと、「軍事力や領土を拡大すること」=「安全保障」とは限らないことも分かります。例えばアメリカは自国の安全のために核兵器の開発に成功しましたが、ソ連に脅威を与えることにつながり、ソ連も核兵器を所持するに至ります。両者が核兵器を持ち、さらに「どちらも軍事大国であり、相手のことを疎ましく思っている。いずれ片方が核攻撃をするのではないか」という潜在的恐怖感が増大することにより、アメリカは核兵器所持以前よりも選択しうる価値が制約されることになりました。19世紀から20世紀初頭にかけてイギリスは植民地を拡大させましたが、インドの防衛のために新たにエジプトやスーダンにも軍事的影響力を行使する必要が生じてくるなど、既得価値への不安を除去するために多方面に渡る軍事行動が必要となるようになりました。軍事力や領土の拡大が「価値に対する脅威の除去」につながった事例も数多くありますが、完全にイコールではなく場合によっては不安を拡大させる傾向があることも念頭に置いておく必要があります。

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