男子トイレと女子トイレの区別は必要ない(排泄社会論)

家族とは排泄を共有する共同体である。基本的にいま日本で多くなっている核家族の家庭では、男子トイレと女子トイレを別々にすることはほとんど行われていない。一家に1つのトイレを家族全員が共有することによって、家族は相互に結びついているのである。これは1LDKの部屋でも、六本木の高級住宅でも田舎の一軒家でも変わらない。

トイレで排泄を共有することによって家族の紐帯が維持されているのである。

男子トイレと女子トイレがあるのは何故か

私達は小さい頃から、学校などには男子トイレと女子トイレの別があることが教育されて、刷り込まれている。実際、学校、会社、店舗、企業のオフィスには多くの場合、男子トイレと女子トイレが存在する(たまに小さい雑居ビルだと共有トイレだったりする)。

男子トイレと女子トイレを分ける必要があるのだろうか?私が今まで見てきた経験では、男子トイレは流れがスムーズなのに女子トイレには長い行列が出来ていたり、男子トイレでも個室が全て埋まってしまって漏らしそうになったことがあった(実際漏らしたこともあるし、女子トイレに侵入して済ませたこともある)。

トイレの近代化

男子トイレと女子トイレを統合させ、共有トイレとした方が効率的であるし、男女同権の現代には相応しいのではないかと思う。そこにジェンダーが入り込んでいるのは、近代化以降、急速に力をつけたブルジョアジーによって、それまでは共同であったトイレが(そして田畑の肥やしになるという農作業の一環であった排泄行為が)、性的行為に昇華されていったからに他ならない。

男性も女性も、同性と一緒のトイレだと恥ずかしくないが、異性のいるトイレだと匂いや音が恥ずかしいという羞恥心を抱いてしまう。しかし、このような異性に対する羞恥心が生まれたのは近代になってからである。男性と女性の身体的構造を以て、男子トイレと女子トイレの区別が必要であると主張する者もいるが、これは詭弁である。近年急速に普及した洋式便器によって、洋式便器で排泄することへの理解が進んでおり、実際、男子トイレでは小便であっても混み具合によって洋式便器を利用する者も多い。洋式便器によって男女の肉体的特徴によるトイレの分断は必要性がなくなったのである。

フェミニストからの応援を乞う

このように近代化によって発生した異性に対する排泄の恥ずかしさは、両性の本質的平等を排して、LGBTなども含めた多様な性のあり方に対するアンチテーゼであることに注意が必要である。トイレを共同化して、排泄の匂いや音が恥ずかしいと思う近代のジェンダー構造を破壊することが、男女共同参画社会を創っていくのではないだろうか。

この点に関してはフェミニストからも賛同を頂けると思っている。今すぐ全国の男子トイレと女子トイレを破壊し、共同トイレを建設していくべきであると考える。今までのトイレに関する初等教育を改め、男女は共に仲良く同じトイレを使うことを教育するべきであると思う。

排泄社会の建設に向けて

かつて排泄は、田畑の豊かな恵みをもたらし、生活に直結する重要な営為であった。しかし、現代では排泄は不浄なもの、排泄は恥ずかしいもの、排泄は隠すもの、という一種の信仰のような思想が世界を席巻している。通常の共同トイレを使う限りにおいて、公衆衛生は今までと同じように保たれるし、排泄を恥ずかしく隠すというものが何ら品位と関係しない構造を(特に社会学者は)暴いていくべきであろう。それによって私達は排泄行為の男女の分断という悲劇の歴史を乗り越えて、排泄共同体である家族と同じように、男女が本質的平等を維持できる排泄社会が完成するのである。

共同トイレによって、社会はより効率的に排泄を行うことが出来る。トイレを待って社会主義諸国のような長い行列が出来る社会は過去のものとして捨て去るべきだ。そして男性も女性も排泄の匂いや音に関して不浄の念を抱くことがないように変えていくことによって、男女は等しく平等な社会を築いていけるのだと確信している。

排泄と性

排泄と性はこのように現代において歪んだ関係になる。そのことが排泄と性への認識を歪めて、社会の進歩の遅延を招いている。排泄は性によって分断されるのではなく、性を越えて共有されるべきなのである。家族が共有しているように。近年の共同体の紐帯が緩んできていることも、その大きな要因として「排泄を共有しない」ことが大きいと考える。排泄自由主義こそ、共同体を再構築して、トイレから疎外された人間が自由を勝ち取り解放される原動力になると思われる。

最終的には個室すらいらないのかもしれない。洋式便座を大量に並べることによって、ニーハオトイレの現代版のような衛生的なトイレがつくれるかもしれない。共同トイレはあらゆる社会の壁を打ち壊すことが可能になるだろう。

男子トイレ・女子トイレの呪縛から解放されよう。人間は本来、排泄を共有する存在なのだ。

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