イケメンに生まれなかったコミュ障の生存戦略

20代前半くらいまで、私はけっこうイケメンじゃないかと思っていた。

でも、残念ながらイケメンじゃなかった。フツメンまたはブサメンの類だったのだろう。だから「リア充」と時々言われるけれど、星の数ほど失恋も経験しています。

■中学時代、片思いで好きになった子にバレンタインデーで花鉢を渡そうとした。その場で断られて、以後2年間、その花を彼女だと思って枯れるまで育てた。

■「高校生雑誌創刊計画」で埼玉県吉見町の女子高生と仲良くなった。彼女は溶血性貧血で、再発したら命がないという話だった。私はできるだけ彼女のそばにいようと思って、彼女の隣町(東松山市)にキャンパスがある大東文化大学に進学した。その2週間後、彼女は「お母さんから齊藤くんには会わないようにって言われているの」と言われて振られた。

■その後、大学時代にクラスメートの女の子と仲良くなった。何かすごく悩んでいる様子で、心配でアパートまで駆けつけた。「大丈夫」とのことで帰宅したけど、後から知った話だけど、その後、僕の親友の男性が来て裸で抱き合っていたことを知った。僕は彼女に会いたくて成田空港まで迎えに行ったけど会えなくて、その後、「彼氏と別れそうになっていたから寂しかったから色々な男に言い寄っていただけ」という話を聞いた。

■大学時代、テレクラの伝言ダイヤルに電話を掛けて、そこで知り合った隣町の女子高生と仲良くなった。実際に会ってみて、ちょっとエッチをしたのだけど、「さいとうさんとは住む世界が違う」と言われて、「セフレだったらいい」と言われたけど、青臭かった僕はそれを拒絶した。

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■高校時代、新聞部で私のことを好きになってくれた浪江高校の女の子がいて、高校時代に「齊藤くん、彼女いるの?」と聞かれたりした。彼女がいてもかまわないということで、僕と卒業後も文通していた。でも僕は大学中退の瀬戸際で心に余裕がなかった。「僕のことを好きだったなら、いまここで僕のことを好きになってくれないか」と彼女に電話した。「彼女になってくれなかったらここで自殺する!」とも…。以後、二度とその女の子からは手紙も電話も送られてこなかった。

(浪江町はいま立ち入り禁止区域)

■岩手県の主婦の話は…母は「自殺してやる!」と包丁を喉に当てて叫んだ→民主党までで詳しく書いた。

以来、頻繁にリストカットするようになった。

■チャットで博多のメンヘラから「会いに来てほしい」と言われて、東京から博多まで新幹線で出かけたことがあった。その翌日、彼女から「思っていたのと違った」と言われた。私が何とか説得しようとすると、「何で帰ってくれないの」と泣かれた。私はそのまま東京へ帰った。

■オールアバウト時代、社内恋愛で好きになった子がいて食事に誘ったりして告白したけど拒否されて、「さいとうさんが仕事以外で誘ってきて怖い」と上司に相談されて経営会議で問題になったことがあった。

■秋葉原に住むようになって、誰にも邪魔にならない場所「出会い喫茶」を見つけた。出会い喫茶では60人以上の女の子と会った。脳性まひで半身不随の障害者の女の子とも会った。その子はおしっこを漏らすのが好きな子だった。

イケメンに生まれなかった僕は、大して社会的ステータスもないし、ド底辺で這いつくばって生きるしかなかった。つかの間の体を重ねることが僕には刺激になって、逆にいうと僕はいつしかそれだけで良いようになった。女性もそれ自身に関心を持つのではなく、ロングブーツや排泄物などに強く惹かれるようになった。もう、インスタントな恋愛しか興味がないし信じない。それがコミュ障としての自分の生存戦略。私の恋愛観や女性観、歪んでいるかな。

中学の最初の片思いがうまくいって両思いになっていたら、僕はまっとうな恋愛観が持てたのかもしれない。

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