ブログ記事にしようと思ったけどボツにした記事

ボツにしたエントリー(記事)ってありますか?ボツにした理由をまとめてみたを読んで、そういえば私もブログ記事を書こうと思って途中まで書きかけたけど、ボツにした記事が沢山あったなーと思いました。私のボツ記事は「単発記事として書くにはネタが薄いな」と判断したものが多いです。そんなボツ記事を紹介してみます。

相馬高校・演劇部の思い出

演劇部で主役&脚本をやって、相馬・双葉郡の地区大会で「理想社会」という演劇を、東京電力の支援で当時完成したばかりのJリーグの練習施設「Jビレッジ」で上演しました。「理想社会」は、全面核戦争の放射能で人類が滅亡した世界で唯一生き残った主人公が、自分のドッペルゲンガーに悩まされるストーリーでした。ほか、「真夏の夜の夢」を上演して、双葉高校の女子高生と仲良くなった思い出。

(現在のJビレッジ)

相馬高校・新聞部(出版局)の思い出

「相馬高新聞」に「発電所特集」を掲載しようとした思い出。取材の過程で相馬・双葉郡の原子力発電所・火力発電所の危険性についての記事も書こうとしたら、顧問の先生から「最初から危険ありきの記事は中立じゃないんじゃないかな」とボツになって、相馬高新聞に掲載されなかった思い出。あと、双葉高校や浪江高校の女子高生とのちょっと良い思い出(今は立入禁止区域だけど彼女達は無事なのかな〜)。

相馬女子高校の思い出

相馬高校時代、女子校だった相馬女子高に何度も潜入を試みた試練の歴史。私が卒業したあとに共学化が実現して、相馬女子高は廃校になり、東日本大震災では旧相馬女子高が臨時の死体安置所になった感慨など。

総合病院で夜間受付のアルバイトをした思い出

短期間ですが、総合病院で夜間受付のアルバイトをしました。救急車からの電話応対とかもやったのですが、不慣れでよく聞き取れなかったりモタモタしたりして、もしかして私が電話応対したから死んじゃった急患がいたかもしれないな〜という記事。

ファミリーマートで夜勤のワンオペをした思い出

ファミマのワンオペもキツイ。店長はスーパーバイザーの言いなり。ずっとロス(廃棄)を忘れてグチャグチャになった肉まんとかも売ってた。おでんは私だったら絶対に食わないわー。モンスターなお客さんも沢山いたという記事。あと、バイト仲間達から「賭けボーリング」への参加を強制されていて、運動神経のない私は毎月4万円くらいバイト仲間達に払わされていた思い出。

伊藤忠機種変更センターのアルバイトの思い出

ゆるいお仕事でした。東京から土浦のイトーヨーカドーまで電車で往復して、ドコモの携帯電話の機種変更があったら回収してくる。ゼロの時も多くて、その時は手ぶらで帰ってきました。それで1日1万円くらいの収入になったので、当時のドコモはそれだけ殿様商売でした。

ライブドアを退職したあとにマンションから追い出された思い出

私が個人名義で借りていたマンションを、ライブドアに入社する際に「借り上げ社宅制度」(家賃が半額になる)があったので会社名義に変更しました。その後、ライブドアを退職したので、「個人名義に戻したいです」と不動産屋さんに連絡したら、「オーナーが無職になる人には貸せないと言っています」と言われて、住処を失ってしばらく路頭に迷ったお話。

Google Playのスクレイピングスクリプトを作った思い出

Googleが運営するGoogle Play公式サイトをスクレイピングして、Androidアプリのランキングサイトを作った思い出。GoogleのWebサイトは鬼のようにJavaScriptが埋め込まれているので、そのエミュレーション方法など。

このブログへの「検索キーワード」の1位は「ゲイ」、2位は「綺麗なお姉さん」

私のブログは検索流入はあんまり多くないのですが、検索キーワードの1位は「ゲイ」、2位は「綺麗なお姉さん」です。

そんな感じです。いずれもネタとして弱いかな〜と思ってボツにしました。