朝日新聞東京本社で働いた思い出

朝日新聞がいま熱い。ということで朝日新聞東京本社で働いた思い出を書いてみる。

大学を中退した直後、弁論部つながりで立教大学の友人から「お前仕事ないんやろ?朝日新聞でアルバイトしてみない?」と誘われて、築地の朝日新聞東京本社で少しだけアルバイトをしたことがあります。朝日新聞社の人材センターという部署で新卒の記者採用試験のお手伝いやパソコンへの打ち込みなどをやりました。

そのアルバイトは、慶應義塾の学生が一番多くてリーダー格の女子大生がいました。小柄な美人でミニスカートを履いていたので、私と一緒に面と向かって話すときには、私は「パンツが見えていますよ」というツッコミを堪えるのが大変でした。それ以外に、立教大学、法政大学、明治大学、東京女子大学、そして大東文化大学中退の私が働いていた感じです。

新卒の記者採用試験のアルバイトでやった内容は、まず論文試験の採点の補助。筆記試験を通過した学生達の論文を、朝日の記者で採点して回るのですが、その解答用紙を回収する係などをやっていました。ちょうど女性スキャンダルでニュースステーションを降板になった直後の菅沼さんも採点員だったりして、珍しい人にお茶を出したりしました。論文のテーマは「この国のかたち」だったかな。けっこう暇なバイトだったので、みんなの回答を見ていたのですが、最後に戦争の教訓や平和につなげる模範解答的な論文が多かったですね。「世の中、こんなに左の人が多いわけないじゃん!」ってツッコミを感じていました。

次に、筆記試験と論文試験を通過した学生への、「もしもし、朝日新聞社でございます。選考通過おめでとうございます。次は面接試験に進んで頂きたくお電話しました」という電話掛けをみんなでやりました。履歴書を見ながら電話を掛けるのですが、すごく美人な写真の女の子がいて、立教の友人に「この子に『私の彼女に合格しました』って電話したら怒られるかな」と相談したら、「バーカ」と言われた次第です。「でも、この子、広尾に住んでるじゃん。お嬢様ちゃうの?」と立教の友人に言われて、履歴書を見たら確かに住所が広尾になっていました。当時はブルデューは知らなかったのですが、今でいう文化資本の格の違いを思い知った感じです。

その後、面接準備のために、面接官に渡すエントリーシートで学歴欄を修正液で消す作業をやりました。朝日新聞の新卒採用は「学歴不問」になっているので、大学名を修正液で消す必要があったのです。ただ、修正液で手書きのエントリーシートの大学欄を消すだけで学部学科までは消さなかったので、学部でどこの大学かを推測するのはかなり容易でした。「教養学部」「文科一類」とかって書いてあったりしたらどこの大学かは察しがつきますよね。割とザルなことをやっていました。

そうやって面接を受けに来た、東京大学や一橋大学などの学生を、面接会場に案内する案内係もやりました。面接でどんな話をしているかも聞く耳を立てていたのですが、最初に自分の所属大学を話す学生が多くて、あー、やっぱり、学歴不問なんてウソじゃんと思った感じですね。面接が終わった後に学生たちが私にも「ありがとうございます」と深々とお辞儀をしていました。私も朝日の記者だと思われていたのかな。全然関係なくて、大東文化大学中退のプータローだったのですが。

東京女子大学の学生とパソコンの打ち込みの事務作業をやっていたときは、よくその子と話しました。その子は、「やっぱり、こういうマスコミ系にいる人達ってインテリっていうか、ちゃんとした感じの人が多いじゃん?私もそんな人達の所に行きたいの」という話をしていました。トンジョらしい上昇志向のジェンダー観のご意見に感服した次第です。

法政大学でバイトをしている友人から、「さいとうさんも、このまま朝日でバイトを続けていたほうが良いんじゃないの?アルバイトから社員登用もあるらしいし」と薦められていたのですが、その法政大学の学生自身が朝日の記者から「うちは君のような大学の学生は普通は採用しないんだよねー」みたいなことを言われていたらしく、何か朝日新聞社の隠れ学歴主義な面を露骨に感じ取ったので、ちょっと遠慮させていただいた次第です。

もう14年も前の話なので、今の朝日新聞東京本社の様子は、新卒採用も含めてちょっと違うのかもしれませんが、当時はそんな感じでした。あ、あと、朝日新聞東京本社は毎日が厳戒警備体制でした。刃物を持って入ろうにも警備員に差し押さえられると思います。

もし、あのままバイトを続けて、朝日新聞の社員に登用されていたら、従軍慰安婦の記事を書いていたのかな?