ゲイの男性とデートしたけど自分は偽善者だと思った

ゲイの男性とデートしたことがある。

といっても数年前だけど。当時はミクシィが盛んで、私は実名と顔写真を出してコミュニティに頻繁に投稿していた。コミュニティは上限の1,000個まで登録していたけど、LinuxやWEB関係だけじゃなくて、政治や思想・文学・サブカル・ジェンダーやセクシャリティに関するコミュニティにも投稿していた。

私の基本的立場はいわゆるジェンダーフリーに立つものだった。私達の社会は隠れた秩序で支配されていて、「男の子は青、女の子は赤」のようにジェンダーによる格差が存在する。この格差の構造を攻撃し、ジェンダーに依らずない社会を築いていくべきだという立場だった。

性的マイノリティやトランスジェンダーにも社会的平等が与えられるべきだと思っていた。そして、セクシャリティとは必ずしも決定的なものではなく、多様性を認めることが大事だと説いていた。

そんな私にミクシィでメッセージを送って来てくれたのはゲイの男性だった。「私はゲイなのですが、さいとうさんにすごく憧れています。正直、さいとうさんがタイプです。一度会ったり出来ませんか?」というメッセージとマイミク申請を受け取った。

私は悩んだ。私は女性が好きで、女性の「女性らしさ」に憧れがあるし、女性に対して性的指向がある。しかし、その自分の価値観は社会的に規定されたもので、ここでこの男性からのメッセージを拒否することはジェンダーや性的マイノリティに対して平等であろうとする自分の主義主張に反するのではないかと思った。まずマイミク申請を許可して私は決断した。「会ってみよう」

私は秋葉原(外神田)に住んでいたが、彼は浅草に住んでいると言っていた。私は浅草の神谷バーで「電気ブラン」という明治・大正の頃からのハイカラな酒を飲むのが好きだったので、神谷バーで飲みましょうと伝えた。

待ち合わせ場所に現れた彼は、30代くらいの男性で丸坊主でちょっと痩せていた。「あ、どうも、よろしくお願いします」と私達は挨拶して神谷バーに入った。彼は「さいとうさんがタイプで、ずっと会ってみたいと思っていたんです」と初対面からストレートに切り出してきた。

私はちょっと話をはぐらかそうと「どんな男性が好みなんですか?」と聞いてみた。彼は「石原慎太郎がすごく好きです」と答えた。え?石原慎太郎と私?なぜ??と思ったのだが、多様な価値観を認め合う必要がある。「石原慎太郎のどんな所が好きなんですか?」と聞いてみた。「東京をまとめるって凄いじゃないですか。石原さんは東京をまとめようとしている。その姿がすごく格好いいなと思って。その思いはさいとうさんにも抱いているんです」という答えが返ってきた。うーん、彼の中では石原慎太郎と私がセットなのかw

神谷バーで飲みながら会話するうちに「さいとうさんに秋葉原の色々な場所を教えてもらいたいんです」と彼が言ってきた。秋葉原からは徒歩で自宅に行ける。私は不安を感じたが、その不安をもとに彼が秋葉原に対して寄せる好奇心を否定するべきではないと思った。「秋葉原をご案内しますよ。一緒に行きましょう」

電気街でソフマップとかパソコンのパーツショップとかを案内した。しかし彼はパソコンにはあまり詳しくなく普段も興味が無いようだった。でも、パーツショップを巡って色々解説する私の話を熱心に聞いてくれた。そしてパーツショップめぐりが一段落したところで彼が「さいとうさんの自宅のパソコンが見たいです」と言いだした。

そこで私の不安は確定に変わった。自宅にはパーツショップから徒歩数分でいけるが、彼の目的はパソコンではない。「すみません、そういうのはチョット困ります…」と私は切り出した。「初対面だし、私はゲイではない価値観を持っているので、自宅に案内するのは難しいです」という話をした。彼は本当に申し訳なさそうに「すみません!またの機会で良いのでパソコンを見せてください」と粘った。「仲良くなったら、パソコンも見せられるかもですが」と私は弁解するのがやっとだった。そして私と彼は秋葉原駅で別れた。

秋葉原の自宅に帰ってきてから、自分の冷や汗を押しとどめることが出来なかった。性の価値観は多様であるべきだ。その考えは変わっていない。しかし、彼は「気持ち悪い」。たぶんこれからも私の自宅に案内することはないだろう。それをどう伝えたら良いのか迷った。私が選んだ意思表明は彼をマイミクから外すことだった。

自分は偽善者なんだなって実感した。性の多様性を説いていて、色々な性的マイノリティが認められる社会を説いていたのに、セクシャルな判断として彼を拒否したのだ。もし彼が普通の男性で友達になっていたら、自宅のパソコンは見せていたかもしれない。しかし、セクシャルな判断として「自分にとって彼は危険だ」と思ってしまったのだ。

偽善者な自分を大きく悔いた。それ以降、ジェンダーのコミュニティにはあんまり積極的に投稿しなくなった。その後、私は結婚した。今もジェンダーフリーを目指す基本的な考え方は変わっておらず、性の多様性は認められるべきだと思っている。しかし自分はそういう善意を書くことに酔っている偽善者なのだ。自分のTumblrのダッシュボードには女性の死体や排泄の写真が日々続々とアップロードされているが、私は性的マイノリティの価値を語る資格がないのだ。