オウム真理教とパソコン通信とサブカルチャー

前回ははてなユーザー会に沢山の生温かい反響を頂きありがとうございます。いくつかユーザー会の企画を考えているのですが、それを巡って手斧を持った人々で揉める前に、せっかくGWに入ったので思い出話を書かせてください。オウム真理教とパソコン通信の思い出。

私は福島県相馬市に生まれて、人口4万人のド田舎だったので、コンテンツといえばテレビか本(オカルト)しかありませんでした。例外なく私はオカルト少年になって、小学5年生の頃から雑誌『月刊ムー』の愛読者になっていました。相馬の本屋さんでは『ニュートン』の隣に『ムー』が平積みされていたのです。

超古代文明は核戦争で一度滅んでいる。世界はフリーメーソンが影で支配している。アメリカ政府(マジスティック12)は宇宙人から軍事技術を入手してエリア51で極秘実験を行っている。ヨハネ黙示録に預言された「666の獣」がアメリカ大統領になり世界最終戦争が起きる。

…小学生の私は教科書に載っていない記事に衝撃を受け、「世界やべー!」と思って最終戦争を生き延びるために何らかの対策を打たなければいけないと思いました。

中学生になってから具体的な行動に出ました。月刊ムーには読者同士が住所を公開して交流できる投稿欄があったので、月刊ムー編集部に「世界最終戦争を生き抜くために仲間を募集しています」という葉書を送りました。そうしたら翌々月の月刊ムーの読者コーナーに掲載され、中学1年生の私のところに全国各地から沢山の手紙が届きました。

「世界最終戦争を生き抜くには古代仏教の修行で対抗する必要があります」という手紙を送ってきた成人女性と文通を始めました。今から思うとオウム真理教の教義そのものだったと思います。その女性と文通でしばらくやり取りをしていたら、「オウム真理教の元信者」を名乗る男性から「オウム真理教は危険です。オウム真理教は暴力団と手を組んでいます。私の命も狙われています!」という葉書が送られてきました。

それが葉書であったため、親にその文章を読まれ、私のオカルト趣味やオウム真理教信者との文通の実態が親バレしました。そして月刊ムーの購読をやめることや宗教関係の相手とは文通してはいけないと叱られました。私は反発したのですが、結局、文通を諦めざるを得ませんでした。

中学3年生になって高校受験を受けて、受験の合格発表日に自分の名前をみつけた私は意気揚々と自宅に帰宅しました。しかし、実家のみんなはテレビに釘付け。何が起こったのか聞いてみると、「東京の地下鉄に毒ガスが撒かれた。大勢の人が倒れている」とのこと。結局、その日は合格発表のお祝いどころではなくて、家族みんなでテレビをみていました。

その頃からパソコンをやっていたのですが、当時はインターネットはなくパソコン通信をやっていました。パソコン通信も田舎だったのでNifty-SERVEなどの大手のホストには接続できず、草の根BBSと呼ばれる地域ごとのホストに接続していました。相馬市内にはホストは無く、いわき市の「いわき銀河計画」(IGK)というホストが福島県内で最大の草の根BBSであったため、そこに接続していました。いわき市に電話する形になるので市外局番が違うのでテレホーダイが適用されず、高額な電話料金に親からまた叱られました。

いわき銀河計画での私のハンドルネームは「春蘭」。最初の頃は女性と間違えられてよく声を掛けられました。オフ会にはよく参加しました。「セフィーロさん」という宮城県の人がセフィーロで私を迎えに来てくれて、一緒にいわき市に遊びに行き、数々のIGKの人達と会いました。セフィーロさん、いま何をしているんだろうな…。オフ会ではよくカラオケに行ったのですが、そこでは当時パソコン通信で出回っていた創歌学会「愛のイニシエーション歌集」がよく歌われました。いわゆる替え歌ソングなのですが、以下のような感じです。すごく不謹慎なんですが。

「オウム幹部じょーゆー」(翔べ!ガンダム)
燃え上がれ 燃え上がれ 燃え上がれ 上祐
君よ走れ まだ悲しみに燃える闘志があるなら
巨大な国家 うてよ うてよ うてよ

「オウムのマハハ」(おもちゃのチャチャチャ)
富士にさよなら 教祖様
ドアに警察 こんにちわ
オウムは逃げる 全国に
そして潜むよ マ・ハ・ポー

「ぼくマハえもん」(ぼくドラえもん)
あったまDOS/V さえて青ジャンバー
それがどおした ぼくマハポーシャ
オウムの傘下の DOS/V軍団
どんなもんだい ぼくマハポーシャ

酒鬼薔薇聖斗が、小学校に生首を晒して挑戦状を送りつけたとき、いわき銀河計画は騒然としました。酒鬼薔薇聖斗が逮捕されたとき、週刊誌に写真が公開されるより先に、いわき銀河計画で「酒鬼薔薇聖斗の本名は東慎一郎らしい」という情報が出てきました。それを見てパソコン通信ってすごい!と改めて感じました。

オウム真理教との文通や、パソコン通信での地下情報のやり取りは、私にとってはじめての遠隔通信であり、自分のコミュニケーションを形成する土台になりました。当時のみんな、オウム真理教の成人女性やなぞの葉書を送ってきた人も含めてどうしているんだろうな〜。

相馬市に自分で草の根BBSのホストを開設する構想もあって、そのためにktbbssというホスト開設のソフトウェアも入手して実行段階に至ったのですが、親にパソコン通信のホストになるには電話回線を24時間接続しっぱなしにする必要性を説いたら猛反対され頓挫しました。

高校生になってからは演劇部に入ったのですが、そこで「理想社会」という脚本を書きました。核戦争の放射能で人類が滅亡した世界で唯一生き残った主人公が自分のドッペルゲンガーに悩まされるというストーリーで、地元で完成したばかりのJビレッジ(福島県双葉郡)で公演を行いました(主役は自分が演じました)。いまJビレッジは原子力対策の拠点として機能していて、自衛隊の戦車が到着した光景に因縁を感じてしまいました。

当時、サブカルチャーとパソコン通信は割と近い位置にいました。自分はそんな世界に憧れ、その後、大学で東京に出てきたときにSerial experiments lainを見て衝撃を受けます。

Ressonância Schumman – Serial Experiments Lain …

そんなわけで、自分がWEBコミュニケーションにハマることになった思い出話でした。