商店街を救う余裕はもはや無い。イオンと共生する社会を目指すべきだ

戦後、高度経済成長に伴って全国各地に商店街が出来た。そこでは地域のおじさん店主が「おう、坊や、元気か?」と声を掛け合ったり、明るくも甘酸っぱい商店街を取り巻く地域の思い出が沢山あったのだろう。

しかし、今や全国で商店街がシャッター商店街への道を歩んでいる。地方にはイオンやかっぱ寿司など東京資本の全国チェーンが怒濤のように進出してきていて、今や地域の雇用はこれら東京資本が握っているのが正直な現状だ。もちろん、創意工夫で町おこしに成功した商店街もある。しかし、それはテレビニュースで語られるぐらいに稀な話題だ。全国の多くの商店街は、イオンほど賢い戦略が描けているのではない。商店街の創意工夫には限界があると見た方が良いだろう。

地元商店街を救済すべきだという意見は、政治の世界も含めてよく聞く陳腐なフレーズではある。しかし、陳腐すぎて中身がない。もう日本には地元商店街を支えていく余裕はない。経済効率性をあげて集約型施設を支援して、旧来の町の文化と共生をはかりつつ新しい商圏を生み出していかねばならない。商店街の救済にお金をつぎ込むべきではないのだ。具体的にはイオンとの共生を目指していかなければならないだろう。

海軍おじさんが農薬混入事件を起こしたとき、そのコンテキストには理解できるものがあった。海軍おじさんの何がすごいって「空洞化する郊外」を象徴しているところだ。今や郊外はイオンやワンピースなどの東京のコンテンツに寄生しながら生きている。一連の閉塞感への反応が群馬から出たのも偶然ではないだろう。

私達はイオンと共生する社会が求められている。しかし、未だに地元商店街が活性化する日が来ると信じている人々がいる。彼らは政治家の餌にされるだけだ。地元商店街が再びかつての賑わいを取り戻す日は永遠に来ない。郊外こそ、そのような時代の変化に対して敏感でなければならないのだと思う。