学生新人弁論大会原稿『全世界的安全保障』

『全世界的安全保障』 (学生新人弁論大会原稿)

東西冷戦の終結後、世界大戦の危機は大きく遠のきました。それに伴って世界各国は大規模な軍縮にとりかかろうとしています。例えば核兵器をめぐっては、NPT(核不拡散条約)やCTBT(包括的核実験禁止条約)の交渉が開かれています。

しかし今年の5月、インドが世界の動きに逆行して核実験を行い、核兵器の保有を宣言、さらにそれに呼応してパキスタンも同様の措置をとりました。このことは、NPT体制を根底から崩壊させかねないという懸念もあります。7月上旬にインドは再び核実験を予定しているという情報もありますし、イスラエルやイランといった潜在的核保有国が南アジアの動きに呼応しないとも限りません。さらに、対立関係にあるインド・パキスタン両国による核保有は、偶発的核戦争の危機も含んでいます。両国の核保有の原因となったカシミール領土紛争や中国の脅威を考えると、つまりは各国が個別の安全保障政策をとることは、国際社会全体の安定がくつがえされかねない要因となりうるということであります。

今までは民族自決や内政不干渉の原則、あるいは大国の論理によって、国際社会は各国の個別の軍事政策に口を出すことは制限されてきました。しかし今や経済のグローバル化が進み、一国、一地域の不安定要因が世界経済及び国際社会全体に深刻な影響をもたらすようになりました。そろそろ各国は自国の発展は世界の安定なしにはありえず、それは自国独自の安全保障政策より優先することを自覚するべきです。すなわち、国際社会の意向にそう形で自国の軍事を決定する全世界的安全保障へと発想の転換がせまられているのです。

多くの人はここまで話を聞いた段階でこう考えると思います。現在の世界には国連による平和維持軍が存在し国際社会の意に反する侵略行為に制裁を加え、地域紛争の解決へ乗り出している。その平和維持軍の機構を改善、強化することによって、各国が全世界的安全保障など考えずとも世界の安定は保たれるのではないか、と。しかしそれは大きな間違いです。なぜなら国連平和維持軍は国際社会をゆるがすような軍事行動を未然に阻止することは出来ないからです。たとえば大国の行う核実験や突然の侵略戦争を未然に防ぐことは出来ません。また、高度化する各国の軍事力を抑制するためには、国連は大規模な戦力を常に維持、展開させる必要があり、いずれ限界に達します。そして国連平和維持軍の介入が必ずしも事態の解決へと結びつかないことは、旧ユーゴスラビアやアフリカでの平和維持活動を見ても明らかであります。

国連平和維持活動は、全世界的安全保障の一つの類型であるかもしれません。しかしその機能がもともとは個別的安全保障の維持のためにあり、そして究極的には軍事力という物理的強制力に頼っているために、不完全であり限界があるのです。

核拡散や侵略行為、軍拡競争などを未然に防ぐことが出来ないのは国連の限界の現れであり、そういった個別の国家のエゴのつみかさねが国際社会をますますアナーキーなものにしようとしています。このことは平和を望む各国の国民にとっても、安定を志向する世界経済にとっても重要な脅威であります。現実的に当面は国連平和維持軍の整備、強化と安全保障理事会の地位確立によって世界の安定を守っていくべきですが、そのシステムが限界にさしかかる前に全世界的安全保障の具体的ヴィジョンを描き、それへ向けての段階的なプロセスをふんでいくことが重要であります。

では、その全世界的安全保障の具体的ヴィジョンとは何か。それは、主権の共有であります。つまり、各国が個々に持っている軍事力を世界各国が共同で管理することであります。さらに具体的に申しましょう。まず世界中すべての国に安全保障委員会という機関を設置します。そしてその国ごとに設置された安全保障委員会を各国の国防の中枢にするのです。安全保障委員会には、指揮権以外のすべての軍事に関する決定権を与えます。例えば軍隊の規模やその役割などを安全保障委員会で決定させます。さらにその委員会の構成を、その半数はその国の国民によって選出された代表者達があたるとし、残りの半数を各国の派遣した代表によって構成するとします。つまり、従来は行政府及び立法府集中していた軍事に関する権限を安全保障委員会に付与することにより、各国の個別軍事力を全世界的安全保障コントロールのもとにおくのです。

この安全保障委員会による全世界的安全保障は、従来の国連平和維持活動と比較して、武力紛争や軍拡の未然防止、大国の論理の消滅と軍縮、世界全体の経済発展といった三つの大きな効果をもたらします。一点目の武力紛争や軍拡の未然防止ですが、これは国際社会の意に反する軍事行為や兵器の開発に対し、安全保障委員会の各国代表が共同で拒否権を発動することが出来るため、その防止を実現することが出来るのです。2点目の大国の論理の消滅と軍縮につきましても、安全保障委員会はすべての国に等しく設置され、そこでは大国も小国も等しく一票を持つわけですから、例えば政治や経済の目的達成のために大国が力でもって小国を脅すという行為は阻止されます。阻止されるわけですから、大国は国策遂行のために強大な軍事力を展開させる必要性がなくなり、小国は大国への対抗手段として自国の国防力を強固にする必要性もなくなります。したがって大規模な軍縮が可能となるわけです。そして以上の二点が、国際社会の安定と軍事予算の削減につながり、三点目の世界全体の経済発展の扉を開くのです。

個別的安全保障から全世界的安全保障へ。そのヴィジョンについて今述べましたが、果たしてその安全保障委員会なるものが本当に実現できるか、単なる机上の空論ではないかと思われるかもしれません。しかし私は、必ずや国際社会は全世界的安全保障体制へと到達できると確信しております。なぜなら先程も述べましたように、経済のグローバル化が進展するにつれて、国際社会の全体の利益を考えることがますます重要となってきております。そしてまた、軍事の諸民族による共同管理こそが、国家や民族の自己決定能力を高めることにつながるのではないでしょうか。将来、世界中の諸国家が大国、小国の区別なくそれらのことを強く自覚し、全世界的安全保障へと向かっていくと思います。

個別的安全保障が全世界的安全保障より圧倒的優位に立つ現状にあって、国際社会の潮流は一国一地域によって簡単に変えることができます。軍拡や侵略行為、武力による威圧を防ぐことはできません。しかし、私たちの世界にとって今最も必要なものは何でしょうか。それは、戦車でも戦闘機でも核兵器でも、侵略行為に対して抑止力を行使できない国際社会でもありません。必要なものは、道路であり学校であり病院であります。まだまだそれらが不足している地域はたくさんあります。産業の豊かなめぐみを全世界へいきとどかせる、安定した平和な国際社会こそ必要なのです。そのためには人類は、全世界的安全保障を個々の国家に実行させることが不可欠であります。以上で私の弁論を終わります。ご清聴ありがとうございました。